さうなる以前の彼はあらゆる費用を節約し、それを一日おきの書信代にあててゐた。ふるい友人、あたらしい友人のたれかれにあてて、彼は根氣よく書いたのである。毎日よむかなりの頁數の書物のノート代りといふこと以外に、そしてまた、外の同志との連絡といふこと以外に、手紙を書くといふことの持つてゐた大きな役割を、古賀はそれを書くことができなくなつたのちに、はじめて知つたのである。手紙を書くといふことは、不自然な生活を強ひられてゐる現在の彼らにとつては、ほとんど唯一の精神の健康法であつたのだ。その唯一のものをうばはれ、鬱結したものの壓力にいまは耐へがたくなつてくると、古賀はいつもぐるぐると房のなかをあるきまはり、頭をそこの壁にうちつけたりするのであつた。そしてたまたま人に逢つて話す機會を持つと、ほとんど見境なくべらべらとしやべりだすのだ。これだけはほとんど自制しかねるほどの欲望であつた。それに今日は、自分のいふことをなんでも聞いてくれる人として、佐藤辯護士が前にあらはれたことが、一層彼のさうした欲望を刺戟することになつたのであらう。――古賀はしかし、しやべつてゐるあひだに、いらだたしげに靴を床にすりつけ
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