丁寧な言葉でそれをいひ、温顏(さう古賀は想像した)をもつて終始した。古賀は言葉すくなに答へ、もう少し考へて見たいこともあるからと言つて歸つて來たのである。歸りの廊下で編笠の隙間からのぞかれる彼の顏は、心持蒼白に引きしまつて見えたが、その口もとはかすかにゆがみ、冷やかな笑ひに近いものさへそこにはうかんでゐた。……
 ――古賀はこの數日來の興奮が次第におさまつて行くのを感じてゐた。同時に心の奧に殘つてゐた曖昧なものゝの最後の一片が、過去の囘想に浸つてゐるうちにいつか自然と除かれてしまつたことに氣づいてゐた。――一審の公判を終へてから今日まで十ヶ月、その間彼は幾度も弱り又元氣を取戻した。元氣をとりもどし、あたゝかい血潮の流れを身裡に感じ、萎縮し切つてゐた胸がまるくふくらんでくる思ひがすると古賀は記憶のなかから幾つかの歌をとり出しては口ずさんだりするのであつた。それらの歌はみんな彼の過去の鬪爭の生活と結びついてゐた。若々しく興奮し、心持ふるへる押し殺したこゑで暗闇のなかで古賀はそれをうたふのだ。だがやがて彼はまたじり/\と弱つてゆき、かぢかんだ心になるのであつた。――あの公判のすんだ當座はわれ
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