た。じとじととみぞれが降り、寒さがぢーんと腹にまでこたへるやうな日であつた。古賀はただ一人の分離裁判であつた。彼はかねて母が入れてくれた綿入れを重ねて着、いつものやうに黒い眼鏡をかけ、重い手錠の手をひかれて裁判所の第一號法廷につゞく高い三階の階段をのぼつた。手錠をかけられる時、いつもよくしてくれる年老いた看守が、「どうも、規則だから、な」と、低く、つぶやくやうに言つたその言葉を彼はしみじみとした思ひで聞いたのである。
 古賀は陳述臺を前にして立つた。
「古賀良吉だね。」
 裁判長の聲を聞いて古賀は低く、はい、と答へた。――一瞬、その直前までかすかにうちふるへ、そわそわしてゐた彼の氣持は水のやうに澄んで行き、陳述の態度もその瞬間において決定したのである。一應の事實しらべがすんだ時、人の好ささうな裁判長(勿論古賀は聲でさう思つただけである)は、「被告は拘禁中、目をわるくしたさうだが氣の毒なことであつた」といつた。うがちすぎた想像ではあらうがそのあとにすぐつづけて、「被告の今日の心境は?」と尋ねたところから察すると、向ふからそのやうに進んで失明のことを言ひ出すことによつて古賀に自分の不幸につ
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