されないその入浴が、どんなに彼にとつてたのしみであつたことか。その年の夏は四十年ぶりとかの暑さであつた。その暑さはこゝではまた格別だつた、房のなかでは、霍亂を起し卒倒するものが一日に一人はあつた。突然に(原文四字缺)ものもあつた。「お前、梅毒をやつたことがあらうが、かういふ時にや、頭へあがつてバカになるんだ、氣イつけろ」まじめなのか、それともからかつてゐるのか、看守がげらげらわらひながらさういつてゐるのを古賀は一度ならずきいた。この暑さのなかでうだり、健康な人間の肉體も病人のそれのやうに腐りかけてゐた。古賀のゐたのはちやうど西向きの房であつたから、長い夏の日半日はたつぷり炒りつけられるのであつた。古賀は苦しくなると窓によつて脊のびをし、小さな鐵格子の窓にわづかに顏をおしつけて、さかなのやうに圓く口をあけてあへぎながら、少しでも新らしい空氣を呼吸しようとするのであつた。坐つて仕事をしてゐると、時々かるい腦貧血を起した時のやうに目の前がぽーつとかすんでくる事がある。さういふ時には前においてある封筒をはる作業臺の上に思ひつきり額をうちつけて、その刺戟でわれにかへるのであつた。だが、何にも増し
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