あげられるであらうなどと、わづかばかりの苦難に耐へえた經驗から思ひ上つてゐたのは笑止で、いくばくもなく古賀はどん底の闇につき落され、はかりがたい現實の冷酷さをいやといふほど思ひ知らされねばならなかつたのである。――ここでの古賀の生活はさういふふうにして毎日平穩にすぎて行つた。すこし氣に入つた本がはいつた時などは、自分が今かうしたところにゐるといふことも忘れてそれによみふけり、巡囘役人の佩劍の音に讀書の腰を折られる時にはじめてわれにかへつて、今の自分の境遇におもひいたる、といふことも珍しくはないのであつた。
さうかうしてゐるうちに古賀は六ヶ月ほどの懲役に服さなければならぬ身となつた。彼は以前ある爭議に關係し、當時進行中の刑事々件がひとつあつたのである。それがちやうどこんどの新らしい豫審中に確定したのであつた。それは昨年の春のことであつた。豫審中であつたので、そのまゝこゝの未決監にゐて刑の執行をうけることになつた。仕事は封筒はりであつた。
殘刑期も殘り少くなつた八月の三日のことである。その日は入浴日で古賀は風呂にはいつてゐた。五日に一囘、それも着ものを脱ぐ時からあがりまで十五分しかゆる
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