さに決定的なものである。從つて事柄のその重要性の前に知らず知らずしりごみし、いよいよといふ時が來るまで、どこか奧の方に曖昧なものを殘してゐたといふことは否めなかつた。その曖昧さが今彼の心に動搖と不安とをもたらし來つたのである。古賀は心を沈めるために、机の上においた手を額にあて首をうなだれて暫らくぢつとしてゐた。氣持はやがて沈まつて行つた。しかし、今決定的な態度をこゝで佐藤氏の前にのべるといふところまではいかなかつた。彼は顏をあげ、もう少し考へてみたいこともある、十日ほど待つていただけまいかと言つたのである。佐藤氏は氣輕にうなづいて書類を鞄にしまひこむと、ぢやあといつて立上り、「近いうちにまた來ます。無理はしない方がいいですよ。」と、あたたかみのある聲で言つた。その言葉の意味はからだの無理をするな、といふふうにも、無理をして心にもない態度をとるな、といふふうにも聞えたのであつた。
 ドアをあけて外へ出かけた佐藤氏はそのときふいにふりかへつて、「あゝ、忘れてゐた。すつかり忘れてゐた、」といつて、もどつて來た。「今日ね、こゝへ來るまへに永井美佐子さんに逢つたのです。用事があつて行けないからと
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