してゐる同志上村と戀愛關係にあるらしいとのうはさを耳にした時にも、さういふ場合にすべての男が感ずるにちがひない一應の感情はうけながら、古賀は案外平氣で居れたのである。どういふ考へで言つたのかは知らぬ、ある時同志の一人が手紙に書いてそれとなく右の事實を古賀に傳へたのであつた。其の後面會に來た美佐子の樣子は、いつもと別に變つたとも見えなかつた。――目が今のやうになつてからはしかし古賀の心持は急に變つて來たのであつた。別れたくない氣持がひしひしと迫つて來たのである。その變り方を彼は心に恥ぢはしたが、心身ともに弱り藁一本にもすがりたい氣持になつてゐた當時の彼としては當然のことであつたらう。同時に古賀は美佐子の心にもなつて考へないわけにはいかなかつた。上村との事がほんたうであるとすれば、美佐子としても自分と別れるつもりでゐたにちがひはない。ただそれを言ひ出すに適當な時を待つてゐたのであらう。それがこんど古賀がかういふ不幸な目にあつてみれば、押し切つて言ひ出すわけにはいかず、さぞ困惑してゐることであらうと思はれた。幾度か躊躇した後公判の迫つて來たある日、古賀は彼女にあてて手紙を書いた。ぼくは自分の不幸な状態を口實に君をしばらうとはしない、ぼくの考へは今までと少しも變つてはゐない、と彼はそのなかで言つたのである。書きながらも彼女のうちに封建時代の貞女らしいものを豫想し、それをのぞむ心があり、古賀は自分の矛盾を恥ぢた。だがそれは自分勝手な考へでしかなかつた。しばらく經つてから來た美佐子の手紙ははつきりと別れることを告げて來たのである。
その手紙が來てから間もなく美佐子は一度面會に來た。今までどほり面會にも來たい、また差入れもしたいから承知してほしいとの事であつた。――面會を終へて歸つて來、房へ入つた時に古賀ははじめて浸みとほるやうな寂しさをかんじた。彼女の存在が自分のこゝでの生活を支へてゐた大きな柱の一つであつたことを今はつきりと知つたのである。心の一角がぽこんと凹んだやうな空虚な寂しさであつた。彼はいよいよたつたひとりになつた自分をするどく自覺した。
古賀はしかし同時にすべてから解き放された自由なおちついた氣持が深まつて行くのを感じた。葦のごとく細く弱いしかし容易には折れない受身の力を――弱さの持つ強さといつたものを自分のうちに感じたのである。
公判は翌年の二月の終りであつ
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