ぐそばによりそつてくる看守の肉體をかんじ、その看守の人のいい髯の濃い顏が記憶のなかにうかんでくると、古賀は、
「誰ですか?」
と聞いてみた。看守は、うん、と答へ、それから古賀の耳の近くでパラ/\と紙をめくる音がしたが、「あゝ、辯護士面會だ、佐藤辯護士」といつた。
面會室へはいると、古賀は机をへだてた向ふに、さつきから待つてゐるらしい人のけはひを感じた。挨拶をし、それから椅子に腰をおろした。「やあ、ぼく佐藤です、おはじめて」と快活な太い聲でその人はいひ、それから鞄の金具のぱちんといふ音と、つゞいて机の上に取り出されるらしい書類の音がさらさらときこえるのであつた。
「山田君からあなたのことは始終きいてゐたんですが、……とんだ御災難でしたねえ。それにこんなところでさぞ御不自由でせう、お察しします。」
「ええ、ありがたうぞんじます。こんどはどうもいろいろお世話樣になります。」
「じつは、控訴公判の日取がきまつたんですよ。」
「あ、いよいよきまりましたか。そいつはおもつたより早かつたですね。」
「まだはつきり何月何日ときまつたわけぢやないんですが、大體、來月下旬頃とほぼ確定したんです。今日、裁判所の意向をきいてきたんですがね。どうせ分離のことだし、あなたは特別不自由なからだだから、一日も早くしてもらはうとおもつて。」
「それは、どうも。……私もおもつたより早くて、うれしいんです。どうせ年を越すつもりでゐたんですから。いつになつたつて結局はおんなじことと、一應はおもつてみますけれど、おそかれ早かれきまらずにゐないことは、やはり早く片づいてくれたはうが心もらくなんです。」
古賀は少し興奮し、はしやぎ出してきた自分自身をかんじてゐた。彼が辯護士の佐藤信行氏と逢ふのは、今日が始めてである。一審のときの彼の辯護士は同郷の先輩である山田氏であつた。何かと親身も及ばぬ世話をしてくれてゐたその山田氏から、ぷつつりと音信がとだえたのはおよそ半年ばかり前の事であつた。ある日の朝、郊外の家から事務所へやつて來た山田氏が、その場から連れて行かれた事實を古賀がきくことができたのは、それからさらにふた月ほどを經たのちのことであつた。この土地には若い辯護士達から成る一つのグループがあり、山田氏はそのグループの中心人物であつたのである。姿を見ることはもちろんできないが、山田氏も今は古賀とおなじこの建物
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