のなかに朝晩起き臥す身となつてゐるのであらう。わづか十ヶ月前には、古賀のために法廷に立つてくれた山田氏が、いまは彼とおなじ立場におかれてゐる事實をおもひ、古賀はその一つの事實からさへも、高まりゆく状勢の險惡さを胸にしみて感じずにはゐられないのであつた。さうしたわけでこんどの控訴公判にはひとりで法廷に立つことを古賀は覺悟してゐたのである。さういふ古賀のところへほぼ一ヶ月ほどまへに山田氏の友人であつた佐藤辯護士から手紙が來た。山田のあとは自分がやることになつた。近々にお訪ねして萬事うち合せよう、との手紙の文言であつた。古賀は力づよいおもひをした。何かと世話をしてくれる辯護士があらはれたといふことを自分のためによろこぶこと以外に、古賀が自由なからだでゐた今から二年ほどまへには微温な自由主義者としてのみきこえてゐ、その後もかくべつ變つたともきかなかつた佐藤氏が、特に今日のやうな時代に、自分たちの事件を進んでうけ持つてくれるやうになつたといふこと――その事實のなかに彼は明るい力強いよろこびをかんじたのである。あらゆる分野においてあとからあとからと人はつづき、ともしびは消ゆることなくうけつがれてゆくであらう。佐藤氏の場合はその小さな一つの例にすぎないのだ。
「山田さんは御元氣でせうね。」
「えゝ、元氣です。詳しいことはまだお話することはできませんが。」
「あなたは實際とんでもない不仕合せな目にあはれたものだが……、それだけでも當然即時保釋にすべきだとぼくらは思つてゐるんだが、どうもねえ。目をわるくされてからもうどのくらゐになるんです。」
「えゝ、早いものでもう一年以上です。あれは忘れもしない去年の八月の五日で、一審公判のはじまる半年ほど前のことでしたから。あの當座はおはづかしいはなしですが、私もしばらくは半狂ひのやうになり、わけのわからないことをぶつぶつ言つては、房のなかをぐるぐるまはつてあるくといつたていたらくで、人のはなしにもずゐぶん變な言動が多かつたといひますが、この頃では餘程おちついて來たんです。……」
 古賀は堰かれたものがほとばしり出たやうな勢でべらべらとしやべりはじめたのである。辻褄の合つたやうなまた合はないやうなはなしになつて言葉はながれて行つた。その當時の彼の苦惱についてくどくどと述べるかと思へば、突然彼の事件の發生當時のことに話が逆もどりしたりした。訴へるや
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