かなり遠くにあるうちに正しくそれと感ずることもできるのである。天候にたいしても――もつともこれは病人などにもさういふものがあるにはあるが、以前とは比較にならぬほどに敏感になつて、朝起きてあゝ今日は雨だな、とおもへば多くその日は雨である。必ずしもからだの快不快によるのではない、ほんの感じでさうおもふだけではあるが、それが適中するのである。もつとも古賀はそれ以外にもう一つ天候を豫知する方法を知つてゐたのであるが。それは雀の鳴きごゑによるものであつた。こゝの建物の軒下にはたくさんの雀が巣くつてゐ、房の前の梧桐や黄櫨の木蔭に群れて一日ぢゆう鳴いてゐるのであるが、その聲の音いろによつて、――それまでになるにはかなりの日時と修錬とを要しはしたが、古賀はいつかその日の天候を大體いひあてることができるやうになつたのである。言葉では言ひ表しがたい細かな感じのちがひではあるが、晴れる日、くもる日、もしくは雨になる日によつて雀の鳴きごゑがそれぞれ少しづつ異つたひびきをもつて聞かれるのである。人間でいへば、沈んだ聲とはしやいだ聲の、乾いた聲とうるほひをもつた聲のちがひででもあるのであらう。小さな動物なぞはやはり、自然の支配をうけることがそれだけ多いのであらうとおもはれる。毎日暗がりにぼんやり坐つて小鳥のこゑを聞くことは、今の古賀にとつては何ものにもかけがへのないわびしいたのしみになつてゐるのであつた。今に刑がきまり、よその刑務所にやられ、そこの窓近くこの愛すべき小鳥の訪づれがないとしたならばどうであらう、などと時には眞劍に考へてみることもあるのである。――古賀はまたこのごろ、季節々々の切花を買つては房のなかへ入れてゐる。目が見えんくせに花を買ふといつて役人などがわらふのであるが、古賀のはもちろん見るのではなく、匂ひを愛するのである。だから香りのない花がはいつてくると失望するのだが、その花がやがてしぼんで來、花びらのくづれおちるときの音が、かなりはなれた机の上においてあつてさへずゐぶんとはつきりきこえるのである。夜ふけの枕もとに、目がさえたまゝ眠られずにゐる古賀はしばしば餘りにも大きすぎるその音を聞き、何か不安を感ずることさへあるのであつた。
また、いつかかういふことがあつた。何の用事であつたか看守につれられて中庭へ出て行つたときのことである。中庭をつききり、向ふの廊下の入口へもうだいぶ近
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