クリームいろのどろとしたものがほとばしるやうに流れでて醫者の白衣をよごした。それは結膜嚢にたまつてゐた膿汁であつたのである。結膜の表面は眞赤に熟れ切つたいちごを見るやうなものであつたといふ。おもはず、「こりや、ひどい。」
と、口に出して言つて、ぢつとそれを見まもつてゐた醫者の顏は、古賀はむろんそれを見ることはできないのだが、みるみる緊張して行つたやうにおもはれたのである。ちよつとのま、考へてゐるやうであつたが、やがて手をもとへかへしアルコホルをしめした綿でぬぐひながら、
「トリツペルをやつたことがあるかね?」
と、古賀をインテリと見てとつたものであらう、さういふやうな言葉で醫者は訊いたのである。古賀が否定の答へをすると、ぢつと小首を傾けてゐたが、ふと氣づいたやうにこんどは、
「風呂はいつだつたかね?」
と訊くのであつた。古賀が、昨日の正午すこし前でした、と答へると、ちらりと彼の顏を見つめ、ふたたび考へぶかさうな目つきをしてだまりこんでしまつたのである。
病監へ入れられてからは、目の疼痛は一層はげしくなつて行つた。熱も高く、嘔氣をもよほし二三度きいろい水を吐いた。眼瞼が上下《うへした》くつつくのをふせぐためであらう、睫毛はみじかく剪りとられてしまつた。一滴々々おとされる硝酸銀水が刺すやうにまたゑぐるやうに目のなかで荒れまはるのであつた。看病夫は二時間おきぐらゐに何千倍かの昇汞水とおもはれる生温かい液體で目のなかを洗つてくれた。それがすむと冷たい藥液をひたしたガーゼで靜かに目の上をおほひ――そして古賀は高熱にうかされながら、うつらうつらしてゐるのであつた。「どうしたんでせう、大したことはないでせうね?」と訊いたとき、看病夫が、「俺たちにやわからねえよ」といつた。その言葉は彼らにしてみればあたりまへのことを言つたにすぎないのであらうが、その時古賀にはおそろしくつめたいひびきをもつてきかれたのである。夕方かへりしなに、醫者は看病夫をよんで何かひそひそと話し合つてゐる樣子であつた。交替で徹夜して看てやれよ、といふやうなことも言つてゐた。その言葉はなにかおそろしい不吉なものを古賀に豫想させずにはおかなかつたのである。トリツペルをやつたことがあるか? と訊かれたときにちらと兆した、そして餘りの恐ろしさにむりやりに心の隅の方へおしやつて、事もなげなふうをよそほつてゐたその不
前へ
次へ
全30ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング