こは東旭川村だが、歩いて行く道の兩側に廣がつてゐる田の稻は程よく色づき穗は重く垂れて、素人眼にも今年の作は豐穰であると思へた。私はこつちヘ來る前に北海道の稻作は今年は旱魃の爲に惡いだらうといふある東京新聞の記事を讀んでゐた。それは殆ど確定的なやうな筆つきであつたが、私はすぐには信じなかつた。今年の東北北海道は五十日近い日でり續きではあつたが、青森秋田などの地方が、「旱魃にケカツなし」の言葉通り、順調に行つてゐるのを私は毎日見歩いてゐたからだ。現に私が話を聞いた青森縣東津輕郡の郡農會の技手は、自慢の長髯をしごきつつ、喜色滿面に溢れて、平年作の二割増收の豫想を壇上から繰返してゐた。
 寒い地方が恐れねばならぬのは冷害であつて、照り過ぎぐらゐが却つていいのだと聞いてゐる。北海道も同じことで、困つてゐるのは畑作で田は灌漑のわるい一部のみであらうと想像して來たのだ。
 最初に訪ねて行つた家で逢ふことの出來た青年のSは、この夏父に死別して一家を双肩にになふことになつたばかりの人だ。私は挨拶がすむとすぐに今年の作柄について聞く。百姓との話の最初に作柄を聞くのは禮儀のやうなものであらう。若ものは今年は
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