從つてゐる人々の姿をジヤーナルを通してなど知らうとしても一向に知り得なくなつてからもうよほどになる。一般世人はそんなものはもう影を消したのだと思つてゐる。
さう思はれてゐる時に、事實は、ほんたうに地についた人々の姿がぽつぽつ現れはじめてゐるのである。私は今度の短い旅行の間にも、さういふ人々の姿をもう何人か見て來た。彼等は大抵一つ所に十年以上住みついてゐる。彼等はもはや昔のいはゆる鬪士ではない。妻子を抱へた村民であり町民であつて、何よりも先づ人々と共に泣きもし笑ひもする人だ。
Mのことではないが、彼等のあるものにはよかれ惡かれ次のことも目立つと思つた。何かの組織の一員になつてゐるが、どうもその組織に自身餘り打ち込んでゐるとは見えない。色々世話役的活動をしてゐるがその組織の人としての活動とも云へぬ。組織の中央機關の動きなどに對しても冷淡のやうだ。一方、少くとも表面は昔の人のやうに思想的に潔癖ではない。それから原則的な問題についてのはつきりした答へは多く聞くことが出來ない。しかし現象追隨主義などといふ言葉が空しくはね返るほどのものは底に持つてゐることが感じられる。
電車を下りるともうそ
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