虱つぶしに説いてまはつて無理矢理に[#「無理矢理に」は底本では「無理失理に」]島田支持にして了つてさ、あの日の中央委員會を自分たちの都合のいいやうに牛耳つたんだ。――君たちは一體、農民の地方意識がどんなに根深いものか知つてゐるのか。いやそれより百姓そのものについてどれだけ知つてゐるといふんだ。」
「知るものか!」と、山田の言葉を受けて川上直吉がはげしく言ひ、すぐにあとをつづけた。「一體、組合の書記連中は杉村君の前でいうては甚だすまんが、このごろどうも出しやばりすぎるんや。先生先生いはれとるが、書記は結局組合の事務員にすぎん、組合から給料をもらうて事務を取つとる事務員や。規約に書記の仕事をはつきりさせておかんいふのもわるいが、オルグたらなんたらいうて書記がいろんなことに口ばし入れるのは大間違ひぢや。東京や大阪に住んどつて、學校途中でよして、一年や二年田舍さ來てゐたかとてなんで、百姓のことが――」
「ああ、もう理窟いふのはおいとかんか。」と突然石川剛造が鷹揚に手をあげておさへるやうな仕ぐさをし、始めて口を切つた。仲間にいふだけいはせておいて、自分は一語も發せず小氣味よげにその場の樣子を見てゐた彼はさういふと同時に立ち上つた。
「わしやもう歸りますぜ。會議もないやうなふうやよつて。」
そして彼は杉村の方はふりかへつても見ず、ずんずん部屋の外へ出て行つた。それは一つの示し合した合圖のやうにも見えるのであつた。殘つた人々は一せいに立上り、石川のあとに續いたのである。
これは偶然であらうか? そのよつて來るところには遠いものがありはしないか。自分も立つて茫然として彼らの後ろ姿を見送りながら、一時に複雜な思ひが犇めき合つて來るのを杉村は感じたのである。
どういふわけでその地方が最後の處女地として殘されたものであらう。そこに住む村人たちの生活條件が何も他に比して惠まれてゐたわけではない、一に地理的状況によつたものであるとおもはれる。事務所のある町からは遠く距つてゐ、そこへはいるには曲りくねつた峠の道を何里か上り下りせねばならなかつた。片側は絶壁になつてをり、片側ははるか下に鬱蒼とした木々の梢が見えるばかりの谷間だつた。眞直に走つてゐる道が突然右に左に急カーブしてゐるところが五ヶ所ほどもある。それを知りつくし慣れ切つてをればこそ夜更けの下り坂の自轉車の上ではかへつてとりとめのないもの思ひにふけり勝ちで、あつといふ瞬間にはもうブレーキはきかず、夜目には見えぬ砂けむりを立てて自轉車もろとも谷底におちこむ慘事が年に二度や三度はあるのだつた。さういふ地理的條件が、峠のこつち側の町に事務所を持ち、はたらく農民の組織のために奔走してゐる人々にも、いくらかおつくふな氣持を持たせたのであらう、かなり遲くまでさういふ組織とは無縁であつたのである。
だがとうとう時が來、ある日その郡の三ヶ村の有志が町の組合の事務所を訪ねて來た。彼らが歸つたあとその夜遲くまで事務所の二階には燈火が赤々と輝いてゐた。人々は興奮してゐた。とうに誰か適當な人を送らねばならぬと氣にはかかつてゐた、それが今日向うから進んではたらきかけて來たのだ。處女地にはかうして鍬がはいつて行く。だが一體誰をこの未墾の地に送つたものであらう。ここでも仕事は多く人手は極度に少なかつた。今一定の部署がなく仕事を見ならつてゐるのは、この春學校を止してこの土地へ來たまだ若い杉村順吉一人きりだつた。ほかの仲間たちはそれぞれの地區におちついてもう一年二年と經つてゐた。杉村かその古い仲間たちか? 人々はそこではたと當惑したのである。未經驗な杉村に荷の勝ちすぎることは誰の目にも明らかだつた。かといつてその土地にいくらかでもなじんだ仲間を他に移すといふことは、農民の場合は勞働者の場合にも増して極力避けられねばならぬことである。結局杉村をやることにして議論のけりはついた。若々しく氣負ひたつて遠慮がちながら自分を主張する杉村ののぞみが入れられたわけだ。
翌日峠の下まで五人の仲間に送られて來、かゞやかしい首途の第一歩を峠の道に向つて踏んだ日の清純な感動を、いつの日にか杉村は忘れうるであらう。
「この度は御苦勞樣のことで。」とその日の晝、村のちよつとした飮み屋の二階で開かれた十五人ほどの集りに自ら世話役と名乘る四十恰好の男が挨拶した。言葉の句切り句切りに先生、先生と呼ぶのである。すつかり赤くなつて照れながら杉村はしかし親しみにくいものを感じしつくりしない自分の氣持に當惑した。ある種の農民の型が彼の頭のなかにはできあがつてゐた。だがそれは獨斷であるとばかりはいへず、わづかの經驗ではあつても彼が見聞きした現實の農民が土臺になつてゐるのである。今彼の眼の前にあるものはぞろりとした絹ものを着、太い帶に時計を卷きつけ、白足袋をはき、まるで商人の感じである。言葉も標準語を器用に使つた。峠の向うだから萬事におくれてゐるだらうと考へたのはこつち側のひとり合點で、國境を越えたすぐ向うには工業都市として有名な隣縣のY市を控へてゐ、Y市のこの地方にたいして持つ意義は大きかつたのである。
「組合の本部の方からはどの位の費用が出るのでせうな。つまりその何ですな、先生の、こちらへの御滯在の費用として。」と、その會合をT郡組合支部結成第一囘準備會といふことにして、どこに事務所を構へるかといふことになつたとき、さきの男がさぐるやうな眼つきをしていつた。彼はもう冷たい打算を働かしてゐるのだつた。はたして組合にそれだけのねうちがあるかどうかそれはこの秋でも越してみねばわかることではない。そしてそれがわからぬうちはびた一文でも出すことではない。「さあ、私の生活費として十圓ぐらゐでせうね。そのほかに通信費なぞは出ますけれど。」と杉村はいつた。で人々はそれきりしばらくだまつた。いくら田舍だとてそれくらゐの費用で一軒の事務所を構へるといふことは不可能である。彼らはそれから一時間以上にわたつて一つ事のまはりをどうどうめぐりした。杉村を當分彼らのうちの誰かの家に泊めるのほかはなく、しかしうるさいことにはできるだけ係りあはぬのがとくだといふ腹がみんなにある。A―がとこは? と名ざされると、名指された本人はあわてて顏の前で手をうちふり、とうから用意してゐたらしい言葉でそれぞれの理由のかげにかくれるのである。つひにある老いた自作農の家にそれが押しつけられた。いよいよそれにきまると今度は急に損をしたやうな氣持のして來るものもあるのだつた。
「B―の親爺もうまいことをやつたものさ、組合の事務員を家さ泊めときや、なんぼちつとばしでも毎月きちきちと現ナマがはいるけんな。」さういつた一人の言葉を杉村はいつまでも忘れなかつた。――
それからの三年間は何といふ偉大な一時期であつたことだらう。偉大といふ言葉をそれに冠して少しも言ひすぎであるとは思はない。社會の上に見ても杉村個人の上に見ても。その複雜さ、その豐富さ、その意味の深さにおいてその三年間は杉村の過去二十年の全經驗を越ゆるものであつた。疑はず全身で生きるといふことはかくも素晴らしいものであるか。その秋はじめて準備會を持つた組織は翌年の春には正式の支部八つ七百人を越ゆるものとなつていた。この地方の各所に當時まだ殘存してゐた麥年貢撤廢の成功が發展の重要なモメントとなつたのである。急激に組織はのびまる一年後のその秋にはおくれて登場したその地區は他の古い地區を完全にしのぐ勢力となつてゐた。今は獨立した事務所を持ち、杉村は有給の書記となり、オルグとしての才能を認めらるるにいたつた彼の得意は知るべしであつたが、何がしかしさうした急速な發展の原因であつたものだらう。何よりも時のいきほひである。それに杉村の努力もなみなみならぬものがあつたにちがひはないが、組織の發展を促した諸矛盾そのものが、反對物を導き出す要因ともなりうるやうなものであつたことに、若い杉村は長く氣づかずにゐたのである。半ば封鎖された自然經濟のうちに生きてゐる東北地方の農民を見慣れた杉村の眼にはこの地方の農民生活は驚異であつた。朝、杉村はY市に續く表の道をひつきりなしに通る、蔬菜の山を積んだ車の音に眼をさました。畑の一角をかこつて觀賞用の草花をつくるものがあり、傾斜した日あたりのいい山の手には果樹の類の植ゑられることが近年めつきりえて來た。二男三男に植木屋を仕込んでゐる百姓もぼつぼつあつた。Y市にM―紡績の支工場が出來ると、早速女工の勸誘員になり、隣接地方の娘さがしに出かけて行くものが少くなかつた。時々投機的な對象物がどこからともなく村々を襲ふのであつた。最初せきせいいんこがはやり出しそれが下火になると兎が、それから食用蛙がはやつた。百姓たちは熱病にかかつたやうな眼つきをし、田圃の仕事の餘暇をぬすんではそのへんをうろうろし、人に逢ふとすぐにお互ひの袖の下に手を入れて指をにぎり、顏を見合せてにやりと笑ふ。これでか、いやもう少し、うん、買つた、よし賣つた、などといふのである。それらは暴風のやうにやつて來、百姓たちの金を何處へかかすめとり、又暴風のやうに去つて行くのである。青年時代を何年間か都會生活に過したものが多く、さういふ農民は農民に特有と思はれる魯鈍と無智からは一應遠いものに見えるのであつた。新聞の相場欄を理解する知識を持ち、時の政治家の人物をあげつらふのであつた。――組合の組織の急速な發展の原因はこれらの諸現象の交錯したなかにあつたといへる。小作料減免の要求においては彼らは強腰で一歩もあとへ引かなかつた。裏切りを拒ぐための小作料の共同保管は彼らに不必要で、組合加入後の彼らは、――いや、それを目的に彼らは組合に加入したといへるのだが、小作料をすぐにも賣つて金に代へ、前記のいろいろなおもはくにはそれを投じた。組合が勢ひを得て以來小作人同志の間で讓渡される、あるひは地主から代償として得る耕作權の價格が急激に上昇し、土地そのものの價格が下つてくると、土地賣買のなかだちを口入師《くにふし》に早がはりした農民があちこちの人の溜りに姿をあらはした。――
これほどの組織人員を持ちながら、これほどに「夜刈の思ひ出」に乏しいところがほかにあるだらうか? 共同作業や、競賣の際の大衆動員のこれほど利かないところがほかにあるだらうか? 地主との間の係爭の解決はすべて辯護士と書記の手に委ねられ、彼らの觀念によれば辯護士は文字どほり「お抱へ辯護士」であり、書記は會社の事務員にほかならなかつた。事務員が、事務員がと公然口にした。彼らの出す組合費で月給をまかなつて、この兩者を雇つてゐるのである。――それですんでゐる間はまだよかつた。だが、辯護士や書記の個人の力がいかに無力なものにすぎないかが暴露され、ほんとうの組織の力で事件を解決しようとの機運が組合の下の方から起つて來、杉村がこの機運の先頭に立つやうになると、組合の上の方の勢力と事毎にかち合はなければならなかつた。そして某生命保險會社代理店の看板を家の前に下げてゐる石川剛造を先頭とするその勢力が、いかにしぶといものであるかを、彼らの育て役であつた杉村自身、いまはじめて知つたのである。
ちやうどかういう状勢にある時に國會選擧が行はれることになつた。人々はあらたな興奮の渦にまきこまれた。村にはにはかに「政治家」がふえ、その地方出身の時めく顯官を君づけで呼び、彼らと「一杯のんだ」といふものが出て來た。二年前に組合が主體となつて成立した無産者黨も當然彼らの候補者を立てねばならなかつた。地元の人間を立てるか外から連れて來るか、それが議論の主要點となつた。杉村の所屬する地區は小數の反對者を除いて石川剛造を中央委員會に向つて推薦した。そしてそれは充分に力強い發言であつた。ほぼ組織人員數に比例して中央委員は選出され、この地區選出の委員は多數を占めてゐたからである。――杉村はたちまちヂレンマにおち入つた。なんとしても石川剛造を支持することは出來なかつた。彼自身の獨立した意見としてさうであつたし、その春から小泉と杉村とがメンバーとなつた一つの組織は選擧についての指
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