誰かの家に泊めるのほかはなく、しかしうるさいことにはできるだけ係りあはぬのがとくだといふ腹がみんなにある。A―がとこは? と名ざされると、名指された本人はあわてて顏の前で手をうちふり、とうから用意してゐたらしい言葉でそれぞれの理由のかげにかくれるのである。つひにある老いた自作農の家にそれが押しつけられた。いよいよそれにきまると今度は急に損をしたやうな氣持のして來るものもあるのだつた。
「B―の親爺もうまいことをやつたものさ、組合の事務員を家さ泊めときや、なんぼちつとばしでも毎月きちきちと現ナマがはいるけんな。」さういつた一人の言葉を杉村はいつまでも忘れなかつた。――
それからの三年間は何といふ偉大な一時期であつたことだらう。偉大といふ言葉をそれに冠して少しも言ひすぎであるとは思はない。社會の上に見ても杉村個人の上に見ても。その複雜さ、その豐富さ、その意味の深さにおいてその三年間は杉村の過去二十年の全經驗を越ゆるものであつた。疑はず全身で生きるといふことはかくも素晴らしいものであるか。その秋はじめて準備會を持つた組織は翌年の春には正式の支部八つ七百人を越ゆるものとなつていた。この地方の
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