經驗な杉村に荷の勝ちすぎることは誰の目にも明らかだつた。かといつてその土地にいくらかでもなじんだ仲間を他に移すといふことは、農民の場合は勞働者の場合にも増して極力避けられねばならぬことである。結局杉村をやることにして議論のけりはついた。若々しく氣負ひたつて遠慮がちながら自分を主張する杉村ののぞみが入れられたわけだ。
翌日峠の下まで五人の仲間に送られて來、かゞやかしい首途の第一歩を峠の道に向つて踏んだ日の清純な感動を、いつの日にか杉村は忘れうるであらう。
「この度は御苦勞樣のことで。」とその日の晝、村のちよつとした飮み屋の二階で開かれた十五人ほどの集りに自ら世話役と名乘る四十恰好の男が挨拶した。言葉の句切り句切りに先生、先生と呼ぶのである。すつかり赤くなつて照れながら杉村はしかし親しみにくいものを感じしつくりしない自分の氣持に當惑した。ある種の農民の型が彼の頭のなかにはできあがつてゐた。だがそれは獨斷であるとばかりはいへず、わづかの經驗ではあつても彼が見聞きした現實の農民が土臺になつてゐるのである。今彼の眼の前にあるものはぞろりとした絹ものを着、太い帶に時計を卷きつけ、白足袋をはき、ま
前へ
次へ
全55ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング