ゐた彼はさういふと同時に立ち上つた。
「わしやもう歸りますぜ。會議もないやうなふうやよつて。」
 そして彼は杉村の方はふりかへつても見ず、ずんずん部屋の外へ出て行つた。それは一つの示し合した合圖のやうにも見えるのであつた。殘つた人々は一せいに立上り、石川のあとに續いたのである。
 これは偶然であらうか? そのよつて來るところには遠いものがありはしないか。自分も立つて茫然として彼らの後ろ姿を見送りながら、一時に複雜な思ひが犇めき合つて來るのを杉村は感じたのである。
 どういふわけでその地方が最後の處女地として殘されたものであらう。そこに住む村人たちの生活條件が何も他に比して惠まれてゐたわけではない、一に地理的状況によつたものであるとおもはれる。事務所のある町からは遠く距つてゐ、そこへはいるには曲りくねつた峠の道を何里か上り下りせねばならなかつた。片側は絶壁になつてをり、片側ははるか下に鬱蒼とした木々の梢が見えるばかりの谷間だつた。眞直に走つてゐる道が突然右に左に急カーブしてゐるところが五ヶ所ほどもある。それを知りつくし慣れ切つてをればこそ夜更けの下り坂の自轉車の上ではかへつてとりとめのな
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