「特別待遇だぞ。大西の差入れだ。差入れなんて、まだ許す時ぢやないんだが、俺がはからつてやるんだ。」
包みを披いてみると、袷、洗濯したメリヤスシヤツ、猿又、紙などがあり、その上に別の一包みになつて、飴玉と花林糖の紙袋があつた。
「御馳走になります。」とことわつて、また腰をおろし、杉村は飴玉を口に入れた。ただしやぶつてゐるのがもどかしく音をさせて噛み碎いた。袋を見ると事務所の前の駄菓子屋のそれである。彼らの研究會のすんだあとによく買ひつけてゐた店であつた。大西の無事はこれでわかつた。もう一つ知りたいことがある。自分とおなじ状態にあるといふことだけしかわかつてゐない小泉の消息である。それを内田に訊かうとし、咽喉まで聲が出たが、ぐつとおさへつけた。
部屋のなかで着替へ、今まで着てゐたものをそこの隅におき、杉村は房へ歸るために廊下へ出た。
廊下の窓はどこも開け放たれ、爽かな風が音を立てて流れてゐた。もういつか四月も末であつた。窓のすぐ下は賑やかな道路で、春日のなかによそほひのあらたまつた人々の往き來する姿が美しかつた。失はれた自由がまた強く胸に來た。すぐ目の前の電柱に何か大きなポスターが貼つてある。斜に貼つてあるので「赤化思想排撃大演説會」の文字と、その肩にならんでゐる辯士たちの顏ぶれまでがよく見えた。東京から來た二三の名士にならんで、石川その他二人の名がまじつてゐた。いつもの年ならあのポスターの代りにもうメーデーのそれが貼られる頃だが、と杉村はちよつとそんなふうに考へた。さうしたものが公然と貼られてゐる事實は、その後の組織の運命をもの語つてゐるやうであつたが、それを見、今の自分をふりかへつて見ても、すべてが終つたとの感じはしなかつた。むしろ反對の、まだ踏み出したばかりだとの感じの方が強かつた。杉村はさつきからずうつと大西たちの姿をそこにあるもののやうにはつきりと眼に見つゞけてゐたのである。うながされて彼は暗い部屋につゞく階段を下りて行つた。[#地から1字上げ](一九三五年六月・中央公論)
底本:「島木健作作品集 第四卷」創元社
1953(昭和28)年9月15日初版発行
初出:「中央公論」中央公論社
1935(昭和10)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2010年3月9日作成
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