合に加入したといへるのだが、小作料をすぐにも賣つて金に代へ、前記のいろいろなおもはくにはそれを投じた。組合が勢ひを得て以來小作人同志の間で讓渡される、あるひは地主から代償として得る耕作權の價格が急激に上昇し、土地そのものの價格が下つてくると、土地賣買のなかだちを口入師《くにふし》に早がはりした農民があちこちの人の溜りに姿をあらはした。――
 これほどの組織人員を持ちながら、これほどに「夜刈の思ひ出」に乏しいところがほかにあるだらうか? 共同作業や、競賣の際の大衆動員のこれほど利かないところがほかにあるだらうか? 地主との間の係爭の解決はすべて辯護士と書記の手に委ねられ、彼らの觀念によれば辯護士は文字どほり「お抱へ辯護士」であり、書記は會社の事務員にほかならなかつた。事務員が、事務員がと公然口にした。彼らの出す組合費で月給をまかなつて、この兩者を雇つてゐるのである。――それですんでゐる間はまだよかつた。だが、辯護士や書記の個人の力がいかに無力なものにすぎないかが暴露され、ほんとうの組織の力で事件を解決しようとの機運が組合の下の方から起つて來、杉村がこの機運の先頭に立つやうになると、組合の上の方の勢力と事毎にかち合はなければならなかつた。そして某生命保險會社代理店の看板を家の前に下げてゐる石川剛造を先頭とするその勢力が、いかにしぶといものであるかを、彼らの育て役であつた杉村自身、いまはじめて知つたのである。
 ちやうどかういう状勢にある時に國會選擧が行はれることになつた。人々はあらたな興奮の渦にまきこまれた。村にはにはかに「政治家」がふえ、その地方出身の時めく顯官を君づけで呼び、彼らと「一杯のんだ」といふものが出て來た。二年前に組合が主體となつて成立した無産者黨も當然彼らの候補者を立てねばならなかつた。地元の人間を立てるか外から連れて來るか、それが議論の主要點となつた。杉村の所屬する地區は小數の反對者を除いて石川剛造を中央委員會に向つて推薦した。そしてそれは充分に力強い發言であつた。ほぼ組織人員數に比例して中央委員は選出され、この地區選出の委員は多數を占めてゐたからである。――杉村はたちまちヂレンマにおち入つた。なんとしても石川剛造を支持することは出來なかつた。彼自身の獨立した意見としてさうであつたし、その春から小泉と杉村とがメンバーとなつた一つの組織は選擧についての指令をあたへ、それに忠實に從ふときはなほさら石川を立てることはできなかつた。しかも杉村を支持する下の組織がなほ充分な結成を見ない今日、正面切つて石川と對立することは組織を崩壞せしめる危險を孕まないとはいへぬのである。いくたの經緯を經たのちに、結局組合の中央部の幹部の島田信介を縣外から連れて來て立てることにした。農民の濃厚な地方意識を認めなかつたからではない、それに屈服せず、積極的にそれを打破するためにも、縣内の有力者間の内部的對立を避けるためからもそれが適當であるとしたのである。杉村ははじめて政治家らしい策動をやつた。石川一派を中央委員會で破るために。そして破つた。
 選擧運動の全期間にわたる石川とその支持者たちの、あるひは陰險な、あるひは公然のサボタージユは、多少の豫期を越えてはげしかつた。借りてある筈の演説會場が借りてなかつたり、貼つてある筈のポスターがその村にはいつても一枚も見當らなかつたりした。こつちの選擧事務員中のあるものが、ひそかに敵方の選擧事務所に出入りしてゐたといふうはさも全然の流言とは思へず、あてにしてゐた投票がどこかへ消えて了つたとしても、必ずしもふしぎはないと思ひあたるところが多いのである。

「大西、今日はもう遲いから泊つて行けや、な、いいだらう。」
 みんなが立ち去つたあとの白々とした部屋のなかに向ひ合つて坐り、杉村はいつた。このごろずーつと事務所に通つて來て杉村の仕事を助けてゐる、青年の大西を、今晩はなぜかこのまま歸したくない氣持がしきりだつた。
「うちさなんにも言つて來なかつたから、おれやつぱり歸るよ。」
「さうか、ぢやあもう少し話して行かないか。」
 火鉢の金網の上に大西の持つて來てくれたかき餅をのせ、燒けるのを待ちながら、若く精氣のあふれた大西の顏を頼もしいものに思ひぢつと見つめてゐた。するとにはかに話したいものが胸に滿ちて來た。小泉に話さうとし、彼の持つきびしいものに押されていひ出せず今まで胸にわだかまつてゐたものである。
「下で聞いていたらう、……連中の言つてゐたことを。」といつて彼はちよつと照れたやうな顏をした。
「遲かれ早から來なければならないことがやつて來たまでのことさ。だからおれはちつともおどろいてなんかゐやしないよ。選擧は一つのきつかけになつたまでのことで、それがなくつたつて何かの動機で遠からず起ることだつたのさ。實際ど
前へ 次へ
全14ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島木 健作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング