るそれについてであります。これは以前まだ、この地方に汽車や自動車の入って参りませんでしたその当時、その春先き、この地方の農家では、その飼馬を毎日野放しにしたのでありますが、その際、その苗代の苗が、その馬からの被害を免れるがための、それへのきわめて巧妙な対策の結果であったということでありますが、それが前にも申しましたように、汽車や自動車が通るようになってからは、その放馬もできなくなり、したがってそういった様式の苗代の必要もなくなったのであります。もっとも今なおその各所に散見いたしますのは、いよいよその田植時、その苗代田の跡へ直ぐに植付けることのできるように、前もって畦塗りをしておくことのできる便宜上からだとのことであります。その田植日の早晩に一日を問題としているこの地方としては、これもまたまことに当然の様式ではありますが、とにかく、その内容はすなわち意味は変っているわけであります。
とにかく、これはほんのその一例でございますが、そういった交通の発達ということが、さらに意外な方面に、しかも偉大な影響と変化とを及ぼしていることを、私どもは注意しなくてはならないと存じます。
もともと、こう
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