ャベツ」とか、「トマト」とかいったように、あまりにもその蔬菜としても熟化され過ぎたものばかりが、いや、そういったものだけにその栽培が向き過ぎ、是が非でもそれを自分の村で栽培しようとしておられるかの傾向が濃厚過ぎはしないだろうか、とさえ思われてなりません。私は先年、昨今スキー場として知られ出して来ましたあの諏訪の霧ヶ峯につきまして、あそこで何か作って見たいが何を栽培したらよいかという御相談に対し、あの霧ヶ峯一帯の黒のっぺ、すなわち黒土、腐植質土の発達しているあそこに行って見ますと、諏訪地方では「これ」といっておりますが、かの「ぎぼうし」のおそろしい繁殖繁茂振りにヒントを得まして、まずこれをここに畑を作って肥料、肥料と申しましてもそこのヒュッテに泊った客から当然される人糞尿なのでありますが、それを施して栽培したらと申上げたことがありました。ところがそれが次第に成績を上げまして、昨年はついに東京方面からの、それもわずか一軒の某料理店の需要に応じ切れなかったと聞いております。(第1、2図参照)
[#底本ではギボウシの写真入る]
 なにもこれは「これ」に限ったことではございません。前にもちょっと
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