のであります。何という敬虔の念の乏しい考え方ではないかと痛感されてならないのであります。
昨今、登山者の増加ということももちろんございましょうが、その敬虔の念の薄らいだということも、かの遭難者を頻発させる、その大きな原因とさえ私は考えているのであります。
どなたでも首肯されることと思いますが、事実、飛行機はかの鳥や蜻蛉の格好に、汽船は魚の、汽車は蛇のそれぞれその格好に似せて造ってあるではございませんか。幸か不幸か、鳥や魚が、ちょっと、われわれに判るような言葉で喋っておらないから、私どもはうっかりしており、いや、自惚れているのではございますが、いったい彼ら鳥や獣は、われわれの行動をどう見ていることでありましょうか。「人間というものは、よくもこうわれわれの真似をしたものだ」と半ば感心し、半ば不思議がっているに違いないと思うほどであります。
世間で「自然を征服した」といっているその事実をよくよく吟味して見ますなら、いずれも実はその自然の持っている「大法則にしたがっている」のであります。すなわちその自然の持っている法則を発見し、その法則に完全に従えばこそ、外面的には征服したかのようにも見
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