然と人間とを対立させまして、かつては私ども人類の驚異の対象であり、いや畏敬のシンボルとさえ考えられておりましたその自然に対しまして、「自然征服」というような言葉を、いや言葉だけならまだしも、そういった思想までも持たれるようになって来ておりますことは、否定できない事実でございます。昨今、かの新聞に、雑誌に、あるいは大衆向きのよく用いられております「征服」という言葉の乱用(?)は、まことにそれを実証いたしているかのように思われます。飛行機が空を飛んだというので「空中征服」、汽船が海を渡ったというので「海洋征服」、夏の休暇にちょっとそこいらの高い山へ登って来たからといって「山岳征服」、それも命からがら登ったり飛んだりしておりながら、そういった言葉が、しかもきわめて無造作に用いられるのが昨今の世相の特徴とさえ申したいほどであります。幸い、御当地の御岳さんは、今も昔もその霊山であることには変りはございませんが、御岳さんだけではなく、あらゆるもろもろの山岳は皆霊山である筈であります。それへ登って来たからといって、「征服」して来たというような考え方は、どう考えて見ても浅ましい考え方としか受取られない
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