き通す地方であるという、それを見逃してはならない、無視してはならないと存じます。風のために割合に蚕、とくに夏秋蚕についてでありますが、それが飼いよいこと、もちろん、その折角の風を蚕室に入れるように工夫しなくてはだめでありますが、それだけでなく、あの恐ろしい※[#「郷/虫」の「即のへん」に代えて「皀」、第4水準2−87−90]蛆の蝿が、風の強い所の畑の桑の葉には卵を産み付けることの少ないこと、また、常に相当の風のあることが葉そのものを充実させ、その飼料的価値を高めること等、風の効果はきわめて大きいのでございます。もちろん強過ぎる風は困りますが、しかし考えて見ていただけば容易にお判りになることでございます通り、その風を防ぐことは、いわば防風林の施設等でそう大した費用もかけずにできるのでありますが、万一あの風をわざわざ夜となく昼となく吹かせるとしたならば、並大抵の資金でできることではございますまい。
雪にしてもその通りでございます。今でもこの木曾の開田村方面では実行されているとのことでございますが、かの麻布を晒すために、また、飯山地方ではあの紙の原料である楮の皮を晒すのにそこの雪を利用いたしております。あの美しい、しかも丈夫な紙の生産も一つには確かにこの雪の賜物でございます。
かの四、五月の頃信濃川下流のその沿岸沖積地に、まったく目の醒めるばかりの美しいチューリップの花畑を展開させておりますのも、確かにあそこの多雪の影響であります。信越国境方面は別としまして、割合に雪の浅いわがこの信州にしましたところで、そこが日陰で、冬中雪に被われているような場所に作られたチューリップはとくによく育ち、もちろん美しい花を咲かせますことや、また本年のようにとくに雪の深かった年において、不幸にして親竹は寒凍害を蒙ったが、その代り、筍は例年になくたくさん出たというような例を私は各所で見聞いたしておりますが、すべては雪の働きと申さなくてはなりません。ところがもしもこの雪をわざわざ降らせるとしたら、それこそ大事業で、もちろん不可能なことでございましょう。
物でも人でもそうでありますが、単にその半面、しかも害的半面、すなわち短所のみを見るのは職工気分だと申されております。私どもはできるだけその長所を認め、長所を発揮させることのできるように努力いたし、常に人間らしい、言い換えますと、「長官気質」
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