ることは注意してよいと思います。
 もちろん、この場合にも、そこの自然によく訊いた上で選択もし、栽培の方法も考案されるべきであることは申上げるまでもございません。要は「そこの土地、すなわちそこの自然を生かす」という思想が根本となっておらなくてはならないと存じます。
 信越国境の姫川流域での所見でありますが、あそこの山野、ことに雪崩れなどで押出されてできておりますそこの処女地には、その処女地を好む「すぎな」を初め、例の「あざみ」、それに「やまぜり」という草が非常に繁茂しており、しかもその「やまぜり」が春先き、そこの雪の下から芽を出して来るその際のものは、風味といい、軟かさといい、なんとも申分のないものだと聞きました。すなわちこれは、まったくあそこの深い雪に恵まれての生産物であります。なにも「ゆきな」だけが多雪利用の蔬菜ではないのであります。何故それをたくさん作って、中央の市場へお出しにならないのですか、と私は申上げて来たことでございます。またあの辺の山野一帯に繁茂しております、いわゆる「木桑《きぐわ》」は、それがあの地方の春蚕の主要な飼料ではありますが、一方それが木桑であるために、たくさんの実が、しかも美味しい実がなるのであります。しかし、今日のところでは、わずかにそれが、しかもただほんの一部分が、この地方の子供のすさび位にしか利用されておらないようで、それを果物として市場へ出荷すること等はもちろん、それを原料として罐詰の製作とかジャムの製造ないしは桑の実酒の醸造等、何一つ企てられておらないことは、まことにもったいないことのようにも思って見て来たのでございます。
 こういった、農村工業についてでありますが、今ここでも例に出しましたように、一つには、その地方の生産物をさらに加工して行くということも、確かに意義のある途でないとは申しませんが、それよりも、もっと真にその地方の工業として意義のある点に力を入れなければならない、と思われることがたくさんにございます。ところが、不幸にして不思議にもあまり多くの人々からも注意されておらないことは、要するに、単にその地方に工業を興すという考えよりも、より「その地方の気候風土を生かして行く」、すなわち、そこの風土に則した工業を興すという点に第一の主眼をおかれないため、と私は考えているのでございます。
 原料といったようなものは、交通の発
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