」だからといっても、一芽十銭も十五銭もしてはやや高過ぎると思いますが、しかし、とかく山の人たちは、今まで山を軽視しており過ぎた、山を馬鹿にしており過ぎた、「山へ行けばいくらでもあるんですから」とか、「たかが山のものですから」とか言って、いかにも山のものを粗末に考えており過ぎたではないでしょうか。山は山として、すなわち「山地は山地として、そこには絶対的の価値を持っている」ということを私どもは忘れてはならないと存じます。とかく都市のものは人工物が多く、それに対して田舎のものには自然物が多い。したがって、都市のものには残念ながら紛れ物がよくある。紛れ物の程度ならまだ辛棒もいたしますが、それを通り越して、毒物や危険物さえもあることは、時々新聞紙上で皆様も御承知のことと存じます。
それに比べて田舎のもの、すなわち自然物はいかにも純であり正であります。神の姿そのままなのであります。軽視どころの話ではないと存じます。昨今御承知のように、いろいろの問題になっている産業組合の如きも、その純正なものを需要し供給するという点にその第一の本旨をおくべきものだ、と私は考えておりますが如何なものでございましょうか。そこに産業組合存在の根本的意義をおくべきだと考えておりますが、御賛成は願われないでしょうか、御一考を願いたいと存じます。
いやどうも、あまり話が横へ逸れ過ぎたようでございますから、こういった方面はいずれ他の機会に譲り本軌道へ戻すことにいたしますが、とにかく、山菜だけではございません。昨今、著しく一般の注意をひくようになって参っておりますかの果物の方面にしましても、りんごや梨の栽培も決して悪いとは申しませんが、私は「くるみ」とか「くり」とかないしは「さねかずら」「しらくちづる」「またたび」等のいわゆる「山果」とも申すものの栽培に御注意を願ったらと考えているのでございます。すでに菓子でも三盆や大白といったような、おそろしく人工化された砂糖を使ったものよりは、かの大島の黒砂糖を主にした大島羊羹・大島センベイといったふうのものが、よりいっそう悦ばれるような世の中となって来ておりますことは、私どもの注意すべき点ではなかろうかと存じます。もっとも、これまたすでに人工物でありますから、名前の通りかどうかは十分の警戒を要しましょうが、とにかく、そういった名前だけでも人を引きつける力を持って来てい
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