れも健脚御自慢、旅行は三度の飯より好きだという愉快な連中だ。ところで困ったのは吾輩である。吾輩は元来ここまで一行を見送り、明日は失敬して帰京する予定なので、旅装も何もして来なかったが、新手《あらて》の武者さえ馳《は》せ加わっては、見苦しく尻に帆掛けて逃出す訳にも行かない。且《かつ》は吾輩の膝栗毛も頻《しき》りに跳ね出したい様子なので、ままよ後《あと》の要務は徹夜しても片付けろと、八溝山をこえて那須野《なすの》ヶ|原《はら》まで、一行の尻馬に跟《つ》いてお伴をする事に相成った。
 翌日午前七時、昨日《きのう》までの雨に引替えてギラギラ光る太陽に射られながら水戸出発、右に久慈川《くじがわ》の濁流を眺めつつ進む。数里の間《あいだ》格別変った事もなく、ただ汗のだらだら流れるばかり。だんだん田舎深く入込《いりこ》めば、この道中一行の呆れ返らざるを得なかったのは、この地方住民の懶惰《らんだ》極まる事である。孟子の所謂《いわゆる》恒産無き者は恒心無しとでも謂《い》うものか、多少でも財産や田畑《でんぱた》のある者は左程《さほど》でもないようだが、その他の奴等に至っては、どれもこれも、汗水流して少しばかりの金を儲けるよりは、ゴロゴロ寝ていた方が楽だといわぬばかり。どこの家《うち》を覗いてみても、一人か二人昼寝をしておらぬ家は殆んど一軒もない。男は越中|褌《ふんどし》一本、女は腰巻一枚、大の字|也《なり》になり、鼻から青提灯《あおぢょうちん》をぶら下げて、惰眠を貪《むさぼ》っている醜体《しゅうたい》は見られたものではない。試みに寝惚《ねぼ》け眼を摩《こす》って起上った彼等のある者を掴《つかま》え、
「暑いのは誰でも暑いのだ。ゴロゴロ昼寝ばかりしていずに、ドシドシ草鞋《わらじ》でも筵《むしろ》でも作って売ったらどうだ。寝ている暇に少しでも金儲けが出来るではないか」といえば、彼等は面倒臭いといわぬばかりに、
「この暑いに――、沢山《たんと》の儲《もうけ》がねえだ」と、鼻の先で笑っている。彼等の顔は全く無気力と自暴自棄との色に曇っているのだ。そのくせ、欲はなかなか深い。一寸《ちょっと》した物を買っても、すぐに暴利を貪ろうとする。実に懦弱で欲張り根性の突張った奴等ほど済度《さいど》し難い者はないのだ。

    (六)髯《ひげ》将軍の一喝

 一寸《ちょっと》した実例を示せば、我等が船負《ふなふ》という村に差し掛かった時だ。一行は朝から重い天幕《てんと》だの、写真器械だの、食糧品だの、雑嚢《ざつのう》だのを引担ぎ、既に数里の道をテクテク歩き、流るる汗は滝のごとく、身体《からだ》も多少疲れたので、このさきの大子《だいご》駅まで四、五里の間、二人ばかり荷物を担ぐ人夫を雇いたいものだ、と村中駆け回って談判に及んだが、誰も進んで行こうとする者はない。
「賃銭はいくらでも出す」と嗾《そその》かせば、
「それではいくら出す」とはや欲張る。
「一人前一円ずつ遣《や》ろう」というと、
「一円ばかしでは――、この暑いに――」と仲間|相《あい》顧みて、
「去年来た洋人《いじん》さんは、五両ずつくれったっけなァ」などと吐《ぬ》かす。
「四、五里の道に五円もくれる馬鹿は日本人には無い。それでは一円五十銭ずつ遣ろう」といっても、彼等はいつまでも煮え切らずブツブツいっているので、髯将軍の癇癪《かんしゃく》玉が忽《たちま》ち破裂して大喝一声、
「黙れッ! 馬鹿野郎、もう頼まない。ウエー、ウエー、ウエー」と、将軍独特の豚声一喝を食わせ、一行は再び重い荷物を分担してテクテクテクテク。
 吾輩は敢《あえ》て重い荷物を担がせられたから憤慨するのではないが、一国の生命は地方人士の朴直勤勉なる精神にありとさえいわれているのに、その地方人士の一部がかくも懦弱にして狡猾なる気風に向いつつあるのは、実に痛嘆すべき次第である。かかる傾向は決してこの地方に限った事ではなく、今や全国に漲《みなぎ》らんとする悪潮流ではあるまいか。彼等朴直勤勉なるべき地方人士をして、かくも懦弱に、かくも不真面目ならしめたのは、偽《にせ》文明の悪風|漸《ようや》く日本の奥までも吹き込んで、時々この辺に来る高慢な洋人輩《ようじんはい》や、軽薄な都人士等《とじんしら》の悪感化を受けた故《せい》もあろう。苛税《かぜい》誅求《ちゅうきゅう》の結果、少しばかりの金を儲けたとて仕方なしと、自暴自棄に陥った故《せい》もあろうが、要するに大体の政治その宜しきを得ず、中央政府及び地方行政官は、徒《いたず》らに軽佻《けいちょう》浮華なる物質的文明の完成にのみ焦り、国家の生命の何者であるかを忘れ、一も偉大なる精神的感化力をば、彼等に与うるの道を知らざる為である事は疑いを容《い》れない。国家の最も憂うる処《ところ》は、貧乏でもない、外敵でもない、宏大な官庁が無い事でもない、狭軌鉄道が広軌鉄道にならぬ事でもない、実に国人《こくじん》意気の沈滞と民心の腐敗とである。民心の腐敗その極に至れば、国家は遂に見苦しく自滅する他《ほか》はないのだ。今日我国は貧乏にして生産力に乏しいというが、富力を増し生産力を高める余裕はまだまだ沢山ある。ブラブラ遊んで暮らすのを誇りとしている一部上流社会の奴原《やつばら》を初めとし、ろくろく食う物も食えぬくせに、汗を流して努力する事を好まぬ下等人士に至るまで、惰眠を貪《むさぼ》りつつ穀潰《ごくつぶ》しをやっておる者共は、今日少くとも日本国民三分の一位はあるであろう。願《ねがわ》くは何か峻烈《しゅんれつ》なる刺激を与え、鞭撻《べんたつ》激励して彼等を努力せしめたならば、日本の生産力もまた必ず多大の増加を見る事は疑いを容《い》れまい。こんな事は民力の発展などは眼中にない愚劣政治家共に話したとて分るまいが、真に国家の前途を憂うる人士は、大いに沈思熟考せねばならぬ問題であろうと思う。実に今日は、レオニダスのごとき大政治家|出《い》づるか、日蓮のごとき大宗教家現われ、鉄腕を揮《ふる》い、獅子吼《ししく》を放って、国民の惰眠を覚醒せねばならぬ時代であろう。区々たる藩閥の巣窟に閉籠《とじこも》り、自家の功名栄達にのみ汲々《きゅうきゅう》たる桂内閣ごときでは、到底、永遠に日本の活力を増進せしめる事は出来ない。

    (七)狡猾船頭

 思わず理屈を捏《こ》ねたが、この時は理屈どころではない。疲れて足を引摺《ひきず》り引摺り、だんだん山道に差し掛かる。道は少しも険阻ではないが、ただ連日の大雨《たいう》のため諸所《ところどころ》山崩れがあって、時々頭上の断崖からは、土石がバラバラと一行の前後に落ちてくるには閉口閉口。一貫目位の巌石《がんせき》がガンと一つ頭へ衝《あた》ろうものなら、忽《たちま》ち眼下の谷底へ跳ね飛ばされ、微塵《みじん》となって成仏する事|受合《うけあい》だ。ああ南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏。現に久慈川《くじがわ》のとある渡船場《わたしば》付近では、見上ぐる前方の絶壁の上から、巨巌大石《きょがんだいせき》の夥《おびただ》しく河岸に墜落しているのを見る。この絶壁下には先頃まで鉱山事務所があったのだが、轟然《ごうぜん》たる山崩れと共にその事務所はメチャメチャになり、一人の技手は逃げ損って蛙のごとくに押潰され、その片腕とか片脚とかは、かの巨巌の下に今なお取出す事が出来ず残っているという事だ。これには流石《さすが》の髯《ひげ》将軍も首を縮めて、お得意の奇声を放つこと飢えたる豚のごとし。
 この渡船場で滑稽な事があった。河水はさまで氾濫していなかったが、渡《わたし》船に乗って向うの岸に着き、
「船頭、いくら遣《や》ろう」と訊《き》けば、
「一人前四銭ずつだ」と、黒鬼のような船頭は澄ました顔をしている。
「そうか、高い渡船銭《わたしせん》だな」といいながら、八人前三十二銭渡して岸に上《あが》ると、岸上の立札には明《あきら》かに一人前一銭ずつと書いてある。
「此奴《こやつ》、狡猾《ずる》い奴だ」と、兵站《へいたん》係の衣水《いすい》子、眼玉を剥き出し、
「八人前八銭ではないか、余分を返せ」と談判に及べば、船頭は一旦《いったん》握った金を容易に放して堪《たま》るものかと、
「この大水だで――」と頑強に抵抗したが、「馬鹿をいうな。二尺や三尺増水したとて、四倍も増銭《ましせん》を取る奴があるものか。癖になるから返せ返せ」と、無理無理に二十銭だけ取返せば、船頭は口惜《くや》しそうに、
「ケチなお客だなァ」と、一行を見送りつついつまでも口を尖《とが》らしている。こっちがケチなのではない。山男のくせに欲張るからとんだ罵倒《ばとう》を受けたのだ。

    (八)盆踊り見物

 それより山道を或《ある》いは登り、或いは降《くだ》り、山間の大子《だいご》駅の一里半ほど手前まで来かかると、日はタップリと暮れて、十七夜の月が山巓《さんてん》に顔を出した。描けるごとき白雲は山腹を掠《かす》[#ルビの「かす」は底本では「さす」]めて飛び、眼下の久慈川《くじがわ》には金竜銀波|跳《おど》って、その絶景はいわん方《かた》もなく、駄句の一つも唸《うな》りたいところであるが、一行は疲れ切っているのでグウの音も出ず、時々思い出したように、オイチニ、オイチニなどと付景気《ついげいき》をして進んで行くと、この山中|諸所《ところどころ》の孤村では、今宵の月景色を背景に、三々五々男女|相集《あいあつま》って盛んに盆踊りをやっているが、我が一行の扮装《いでたち》は猿股一つの裸体《はだか》もあれば白洋服もあり、月の光に遠望すれば巡査の一行かとも見えるので、彼等は皆|周章《あわ》てて盆踊りを止《や》め、奇妙頂来な顔付をして百鬼夜行的の我等を見送っている。ある農家の前に差し掛かった時など、ここでも確かに我が一行に驚いて盆踊りを止めたものと見え、七、八人の男女はキョトンとした面付《つらつき》をして立っておったが、我等の変テコな扮装《いでたち》を見て、
「なんだ、査公《おまわりさん》でねえだ」と、一人の若者、獅子鼻《ししっぱな》を動《うごか》しつつ忌々《いまいま》し気にいうと、中に交った頬被りの三十前後の女房、黄《きいろ》い歯を現わしてゲラゲラと笑い、
「白い物が何でも査公《おまわりさん》なら、俺《わし》が頭の手拭も査公《おまわりさん》だんべえ」と、警句一番、これにはヘトヘトの一行も失笑《ふきだ》さずにはおられなかった。
 元来盆踊りは先祖代々各村落に伝わり、汗を流して働く農民随一の娯楽で、その唄とても、「ままになるならこの丸髷《まるまげ》を、元の島田にしてみたい」位なもので、東京の真中《まんなか》、新橋や赤坂等の魔窟《まくつ》で、小生意気なハイカラや醜業婦共の歌う下劣極まる唄に比すれば、決して卑猥《ひわい》なるものという事は出来ない。彼《か》の舶来の舞踏など、余程高尚な積りでおるかは知らぬが、その変梃《へんてこ》な足取、その淫猥《いや》らしき腰は、盆踊りより数倍も馬鹿気たものである。しかるに、盆踊りは野蛮の遺風だとかなんとかいって、一も二もなく先祖伝来の盆踊りを禁止し、他《た》に楽み少なき農民の娯楽を奪い去るとは、当世の役人や警官はよくよく冷酷な根性になったものかな。盆踊りの後《あと》で淫猥《いんわい》の実行が行われるから困ると非難する者もあるが、その実行は盆踊りの後に限ったことではない。芝居の帰途《かえり》にもある。活動写真の戻りにもある。日々谷公園の散歩中にもある。それら淫猥の実行は他の方法で取締るのが当然だ。帝都の真中で密売淫や強姦を十分に取締る事の出来ぬ警察力や、待合の二階で醜業婦共に鼻毛を読まれている当世の大臣や役人|輩《ばら》に、盆踊り位をとやかくいう権能は余りあるまいテ、馬鹿な話である。
 その夜十時頃、大子駅に到着。山間の孤駅であるが一寸《ちょっと》有福《ゆうふく》らしき町である。未醒《みせい》子や吾輩は水戸から加入の三人武者を相手に快談に花を咲かせ、髯将軍や木川《きがわ》子や衣水《いすい》子は夜中にも拘《かかわ》らず、写真器械引担いで町見物にと出掛け、折よく町はずれで
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