疋《ぴき》乗れそうな盥を売ってくれぬかと、そこらをウロウロ捜し回ったが、こんな寒村に大盥が八個《やっつ》もあろう筈はないので、せっかくの妙案もあわれオジャンと相成った。
 しかし雲巌寺を出発してから行く途々《みちみち》、渓流に沿うて断岸の上から眼下を見れば、この渓流には瀑布《たき》もあれば、泡立ち流るる早瀬もあり、また物凄く渦巻く深淵などもあって、好奇《ものずき》に盥に乗って下《くだ》ろうものなら、二人や三人土左衛門と改名したかも知れぬのだ。盥が無くて仕合《しあわせ》仕合。

    (二〇)とんだ宿屋

 雲巌寺から黒羽町《くろばねまち》までは炎天干しで、その暑い事は焦熱地獄よろしくだ。半身裸体の吾輩などは茹章魚《うでだこ》のごとくになり申した。疲れに疲れし一行は、途中掛茶屋さえあれば腰を下《おろ》して、氷水を飲む、真桑瓜《まくわうり》を食う、饅頭《まんじゅう》をパク付く。衛生も糸瓜《へちま》もあったものではないが、こんな蛮勇には病魔の方から御免を蒙るのだから、途中腹を下すような弱虫は一人もなく、牛の歩みも一歩一歩黒羽町に近づき、この前途《さき》もう半里《はんみち》ばかりという処《と
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