正面には三尺四方程の真赤《まっか》な恐ろしい天狗の面がハッタとこちらを睨んでござる。一人でこんな場所へ来てこんな恐ろしい面を見たら、キャッと叫んで逃げ出すかも知れぬが、一行は大勢なのでチットも驚かない。
「ハハァ天狗様が祀《まつ》ってあるのだな、これは御挨拶を申さずばなるまい」と、そこで髯将軍は恭《うやうや》しく脱帽三拝し、出鱈目《でたらめ》の祭文《さいもん》を真面目|臭《くさ》って読み上げる。その文言《もんく》に曰《いわ》く、
「コレ、天狗殿、吾輩は東京天狗倶楽部の一|人《にん》、吉岡信敬なり。敢《あえ》て閣下の子分に非《あら》ずと雖《いえど》も、また多少の因縁なきにしもあらず。今夜ここに泊る。もし猛獣毒蛇|来《きた》らば、その眼玉で睨み殺して賜われ。猛獣ならばその皮は吾輩有難く頂戴《ちょうだい》する。終りッ!」
スルト側《そば》から水戸の川又子、俳号を五|茶《さ》と申す、宗匠気取りで、
 ああら天狗一夜の宿を貸し給え
と駄句《だく》れば、
「アーメン」と誰か混ぜ返した者がある。
「コラ、そんな事をいうと、天狗様の罰が当るぞ」と、未醒《みせい》子は眼を剥く。先生の相貌、羅漢に似たる為
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