き物が見える。あすここそ頂上に相違ないと、余りの嬉しさに周章《あわ》てたものか、吾輩は巌角《いわかど》から足踏み滑らして十分《したたか》に向脛《むこうずね》を打った。痛い痛いと脛《すね》を撫でつつ漸くそこに達し、拝殿にも上らず、直ちにその後《うしろ》の丘の上に駆け上《あが》ると、ここぞ海抜三千三百三十三尺、高さからいえば富士山の三分の一位のものであるが、人跡余り到らぬ常州《じょうしゅう》第一の深山八溝山の絶頂である。
頂上には一個の石標があって、ここは常陸《ひたち》と下野《しもつけ》の国境《くにざかい》である事を示す。吾輩はすぐさまその石標の上に跳《おど》り上り、遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ、吾こそは今日登山競走の第一着、冒険和尚|字《あざな》は春浪《しゅんろう》なりと呼《よば》わったが、音に聴く者も眼に見る者も側《かたわら》なる津川五郎子ばかり。四方《よも》の山々は、なんだ人間一|疋《ぴき》、蚊のような声を出すなと嘲《あざ》けっているように見える。未醒《みせい》子の漫画では、吾輩群を抜いて一着のように描《か》いてあるが、その実津川子と同着、シカモ吾輩は裸一貫、津川
前へ
次へ
全57ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
押川 春浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング