」と評議一決。やがて黒羽町に入込《いりこ》むと、なるほど、遊廓と背中合せに、木賃宿に毛の生えたような宿屋が一軒、簷《のき》先には△△屋と記してある。
「これだな」と、一行は澄ました顔をしてその前を素通りしながら、そっと横眼を使って店内《みせうち》を眺めると、有るわ有るわ、天幕《てんと》、写真器械、雑嚢《ざつのう》など、一行の荷物は店頭に堆高《うずたか》く積んである。宝の山に入りながらではないが、我が荷物ながらオイ遣《よこ》せと持出す訳にも行かず、知らぬ顔に一、二町スタスタ行き過ぎると、忽《たちま》ち背後《うしろ》からオーイオーイと呼ぶ者がある。振返ってみると、なるほど、梅ヶ谷のような大女《おおおんな》、顔を真白《まっしろ》に塗立てた人《じん》三|化《ばけ》七が、頻《しき》りに手招きしながら追っ掛けて来る。
「ソラ来た」というので、一同ワッと逃げ出す。その速い事! 今までの足の重さもどこへやら、五、六町|韋駄天《いだてん》走りに逃げ延びて、フウフウ息を切らしながら再び振返ってみると、これはしたり、一行中の杉田子は、件《くだん》の大女に掴《つか》まって何か談判最中。救助隊を出さねばなるまいという者もあったが、ナァニあの先生が捕虜になる気遣いはないと、一同は一足お先に那珂川《なかがわ》に架けたる橋を渡り、河畔の景色《けいしょく》佳《よ》き花月|旅店《りょてん》に着いて待っていると、間《ま》もなく杉田先生得意満面、一行の荷物を腕車《わんしゃ》に満載してやって来た。聴けば、杉田先生はお年寄役だけに、三十六計の奥の手も余り穏かならじとあって、単身踏み留《とど》まり、なんとかかんとか胡魔化《ごまか》して、荷物をことごとく巻上げて来たとの事だ。鬼ヶ島から帰って来た桃太郎よりも大手柄大手柄。
黒羽の宿屋で久し振りのビール一杯。ペコペコに減った腹に鰻飯《うなぎめし》! その旨《うま》かった事! 咽《のど》から手が出て蒲焼きを引摺《ひきず》り込むかと思われた。
翌日《あす》は茫漠たる那須野《なすの》ヶ|原《はら》を横断して西那須野|停車場《ステーション》。ここで吾輩は水戸からの三人武者と共に、横断隊に別れて帰京の途に着いた。横断隊は未醒子、髯将軍、衣水子、木川子、これから日本海沿岸まで山中の突貫旅行をやるのである。
小山《おやま》駅で水戸の三人武者とも別れて、後《あと》はただ一人、俄《にわ》かに淋《さび》しくなれば数日以来の疲労も格段に覚えて、吾輩は日光の鮮かに照《てら》す汽車の窓から遠近《おちこち》の景色を眺めていると、吾輩に向い合って腰掛けていたのは頬骨の高いハイカラ紳士、物もいわず猿臂《えんび》を伸ばして、吾輩が外を眺めている車窓の日除け扉《ど》を閉ざす。これは怪《け》しからん奴じゃ、他《ひと》の領分の扉を無断で閉ざす奴があるものかと、吾輩は用捨なくすぐに開けると、暫時《しばらく》してまたノコノコ手を伸ばして閉める。
「何をする」と呶鳴《どな》り付けると、
「日が射して困る」と、ハンカチーフなんかで鼻の頭を撫でている。
「馬鹿をいうな、太陽《おてんとう》様《さま》は結構じゃ」と、吾輩は遠慮会釈もなく再び扉を開け、今度は閉められぬようにと窓の上に肘《ひじ》を凭《もた》せて頑張っていると、これには流石《さすが》のハイカラ先生も閉口し、ブツブツいいながら日の当らぬ方へと退却に及んだ。こんな奴は自分で自分の身体《からだ》を弱くしようしようと掛かっている馬鹿者と見える。太陽の光線《ひかり》に当るのが左程《さほど》恐《こわ》ければ、来生《らいせい》は土鼠《もぐらもち》にでも生れ変って来るがいい。日陰の唐茄子《とうなす》の萎《しな》びているごとく、十分に大気に当り、十分に太陽の光線を浴びぬ奴は心身共に柔弱になる。東京の電車に乗ってもそうだ。大の男や頑強なるべき学生輩に至るまで、窓から太陽が射して来ようものなら、毒虫《どくちゅう》にでも襲われたように周章《あわ》てて窓を閉ざして得意でいる。事《こと》小《しょう》なりと雖《いえど》も、こんな奴等も剛勇を誇る日本国民の一部かと思うと心細くなる。半死半生の病人や色の黒くなるのを困る婦女子ではあるまいし、太陽の光線《ひかり》がなんでそんなに恐《こわ》いのだ。現代の所謂《いわゆる》ハイカラなどという奴は、柔弱、無気力、軽薄を文明の真髄と心得ている馬鹿者共である。こんな奴は終《つい》には亡国の種を播《ま》く糞虫《くそむし》となるのだ。太陽は有難い! 剛健強勇を生命とする快男子は、須《すべか》らく太陽に向かって突貫し、その力ある光勢を渾身《こんしん》に吸込む位の元気が無ければ駄目じゃ。
午後三時半、上野に着く。実に今回の旅行は愉快であったが、思えば初めから終りまで癪《しゃく》の種も尽きぬ旅行であったわい。
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