ふ》という村に差し掛かった時だ。一行は朝から重い天幕《てんと》だの、写真器械だの、食糧品だの、雑嚢《ざつのう》だのを引担ぎ、既に数里の道をテクテク歩き、流るる汗は滝のごとく、身体《からだ》も多少疲れたので、このさきの大子《だいご》駅まで四、五里の間、二人ばかり荷物を担ぐ人夫を雇いたいものだ、と村中駆け回って談判に及んだが、誰も進んで行こうとする者はない。
「賃銭はいくらでも出す」と嗾《そその》かせば、
「それではいくら出す」とはや欲張る。
「一人前一円ずつ遣《や》ろう」というと、
「一円ばかしでは――、この暑いに――」と仲間|相《あい》顧みて、
「去年来た洋人《いじん》さんは、五両ずつくれったっけなァ」などと吐《ぬ》かす。
「四、五里の道に五円もくれる馬鹿は日本人には無い。それでは一円五十銭ずつ遣ろう」といっても、彼等はいつまでも煮え切らずブツブツいっているので、髯将軍の癇癪《かんしゃく》玉が忽《たちま》ち破裂して大喝一声、
「黙れッ! 馬鹿野郎、もう頼まない。ウエー、ウエー、ウエー」と、将軍独特の豚声一喝を食わせ、一行は再び重い荷物を分担してテクテクテクテク。
吾輩は敢《あえ》て重い荷物を担がせられたから憤慨するのではないが、一国の生命は地方人士の朴直勤勉なる精神にありとさえいわれているのに、その地方人士の一部がかくも懦弱にして狡猾なる気風に向いつつあるのは、実に痛嘆すべき次第である。かかる傾向は決してこの地方に限った事ではなく、今や全国に漲《みなぎ》らんとする悪潮流ではあるまいか。彼等朴直勤勉なるべき地方人士をして、かくも懦弱に、かくも不真面目ならしめたのは、偽《にせ》文明の悪風|漸《ようや》く日本の奥までも吹き込んで、時々この辺に来る高慢な洋人輩《ようじんはい》や、軽薄な都人士等《とじんしら》の悪感化を受けた故《せい》もあろう。苛税《かぜい》誅求《ちゅうきゅう》の結果、少しばかりの金を儲けたとて仕方なしと、自暴自棄に陥った故《せい》もあろうが、要するに大体の政治その宜しきを得ず、中央政府及び地方行政官は、徒《いたず》らに軽佻《けいちょう》浮華なる物質的文明の完成にのみ焦り、国家の生命の何者であるかを忘れ、一も偉大なる精神的感化力をば、彼等に与うるの道を知らざる為である事は疑いを容《い》れない。国家の最も憂うる処《ところ》は、貧乏でもない、外敵でもない、宏大な官庁が無い事でもない、狭軌鉄道が広軌鉄道にならぬ事でもない、実に国人《こくじん》意気の沈滞と民心の腐敗とである。民心の腐敗その極に至れば、国家は遂に見苦しく自滅する他《ほか》はないのだ。今日我国は貧乏にして生産力に乏しいというが、富力を増し生産力を高める余裕はまだまだ沢山ある。ブラブラ遊んで暮らすのを誇りとしている一部上流社会の奴原《やつばら》を初めとし、ろくろく食う物も食えぬくせに、汗を流して努力する事を好まぬ下等人士に至るまで、惰眠を貪《むさぼ》りつつ穀潰《ごくつぶ》しをやっておる者共は、今日少くとも日本国民三分の一位はあるであろう。願《ねがわ》くは何か峻烈《しゅんれつ》なる刺激を与え、鞭撻《べんたつ》激励して彼等を努力せしめたならば、日本の生産力もまた必ず多大の増加を見る事は疑いを容《い》れまい。こんな事は民力の発展などは眼中にない愚劣政治家共に話したとて分るまいが、真に国家の前途を憂うる人士は、大いに沈思熟考せねばならぬ問題であろうと思う。実に今日は、レオニダスのごとき大政治家|出《い》づるか、日蓮のごとき大宗教家現われ、鉄腕を揮《ふる》い、獅子吼《ししく》を放って、国民の惰眠を覚醒せねばならぬ時代であろう。区々たる藩閥の巣窟に閉籠《とじこも》り、自家の功名栄達にのみ汲々《きゅうきゅう》たる桂内閣ごときでは、到底、永遠に日本の活力を増進せしめる事は出来ない。
(七)狡猾船頭
思わず理屈を捏《こ》ねたが、この時は理屈どころではない。疲れて足を引摺《ひきず》り引摺り、だんだん山道に差し掛かる。道は少しも険阻ではないが、ただ連日の大雨《たいう》のため諸所《ところどころ》山崩れがあって、時々頭上の断崖からは、土石がバラバラと一行の前後に落ちてくるには閉口閉口。一貫目位の巌石《がんせき》がガンと一つ頭へ衝《あた》ろうものなら、忽《たちま》ち眼下の谷底へ跳ね飛ばされ、微塵《みじん》となって成仏する事|受合《うけあい》だ。ああ南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏。現に久慈川《くじがわ》のとある渡船場《わたしば》付近では、見上ぐる前方の絶壁の上から、巨巌大石《きょがんだいせき》の夥《おびただ》しく河岸に墜落しているのを見る。この絶壁下には先頃まで鉱山事務所があったのだが、轟然《ごうぜん》たる山崩れと共にその事務所はメチャメチャになり、一人の技手は逃げ損って蛙のごとくに押潰
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