ガッカリやら。一同はその教えられた通りにまたもや一里半ほど進むと、今度は頬被《ほおかむ》りの馬士《まご》がドウドウと馬を曳《ひ》いてやって来たので、もう雲巌寺も間近だろうと胸算用をしながら、
「お寺へは何里だね」と軽く訊《たず》ねると、
「そうさね、二里半もあろうか」といい捨てて行き過ぎる。
「ハテナ、来れば来るほど道が遠くなるとはこれ如何《いか》に」禅宗の問答ではないが分からぬ事限りなし。初め雲巌寺まで二里と聴いた水車小屋からは、二里は愚《おろ》か無駄足をして既に四、五里は来たのに、この先まだ二里半あるとはガッカリガッカリ。孔明《こうめい》の縮地の法という事は聞いているが、この辺《へん》に伸地の魔法でも使う坊主でもいるのではあるまいかと、一同は俄《にわ》かに疲労《つかれ》を感じてきた足を引摺《ひきず》り[#「引摺《ひきず》り」は底本では「引摺《ひきずり》り」]引摺り、更に半里ほど歩んで、路傍《みちばた》の農家にチョン髷《まげ》の猿のような顔をした老爺《おやじ》が立っていたので、またしても懲《こ》り性《しょう》なく、
「雲巌寺まで何里だ」と問うと、
「二里半だ」と相変らずである。これでは歩いているのだか、ツクネンと立っているのだかさっぱり分からぬ。
「いくら歩いたって駄目だ。まだ二里半あるなどと、そんな馬鹿な事があるものか。道を近くいう奴は可愛らしいが、遠くいう奴は憎らしい。あの老爺《おやじ》の面《つら》も癪《しゃく》に触るではないか」と、老爺どのとんだお憎《にくし》みを受けたものだ。蓋《けだ》し足の重くなった旅行家の真情を暴露したものだ。
(一八)焼酎《しょうちゅう》の御馳走
一行は多少ヤケ気味に、それよりはブラリブラリと牛の歩み宜《よろ》しく、またもや一里あまり進んで、南方《みなみかた》村という寒村に来掛かれば、路傍《みちばた》の開放《あけはな》されたる一軒家では、褌《ふんどし》一本の村の爺《じい》さん達四、五人|集《あつま》って、頻《しき》りに白馬《どぶろく》か何か飲んでいる。ここでもまたまた雲巌寺へ何里あると問えば、
「そうさね、一里には近かろう」との答えだ。
「善哉《ぜんざい》! 善哉! この爺さん達はエライよ」と、一同はホッと一息。時刻は正午《ひる》間近なので、朝飯の不足に腹が減って堪らず、ここは掛茶家ではないが、一同は御免|候《そうら》え
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