フラ」の甲板に出で、左に烟《けむり》のごときアフリカ大陸を眺め、右に果しなき大海原を見渡し、夜は月なき限り、早くより船底の寝室に閉じこもって眠る。かかる間にブランコ岬の沖を過ぎ、昔は妖女住みしと云うシエルボロ島の間を抜け、航海三十五日目にして寄港せしはアフリカ南端のテーブル湾なり、ここにて船は飲水食料等を充分に補充し、いよいよ同湾を去ってさらに南へ向えば、もはや右を見るも左を見るも陸の影はなく、振り返れどアフリカ大陸の影さえ消えて、前途は渺茫として水天につらなるのみ、余は何となく心細き感に打たれたり。
 かくてアフリカの尖端テーブル湾を去って五日ほど過ぎ、風なぎて船脚きわめて遅くなりし夕暮、余は甲板上の前檣《ぜんしょう》にもたれて四方を見渡すに、眼に入るかぎり船もなく島もなく、ただ気味悪きほどの蒼き波間《なみま》に、一頭の巨鯨の潮ふけるが見ゆるばかり、かかる光景を見ては、いかなる人といえども一種名状すべからざる寂寞の感に打たるるものなり、今船はいかなる状態にていかなる方角に進めるやも分らず、余は意気地なきようなれど、心細さは次第々々にましてついに堪らず、おりから面前に歩み来れる船長に向っていきなりに問えり、「めざす絶島にはいつ達すべきや」と、もとより手真似の問答なればしかとは分らねど、船長は毛だらけの手を前後左右に振って
「達すべき時にあらざれば達せず」と、無愛相に答えしようなり。彼はそのまま行き過ぎる、余はとりつくしまもなし、艫《とも》の方を見れば七人の水夫、舵を取り帆を操りながら口々に何か語り合う、その声あたかも猿のごときが、ふと何物をかみつけけん、同時に話声《わせい》をやめてとある一方に眼を注ぐ、余も思わず釣りこまれて、彼等の眼の向う方角を眺むれば、そこは西南の方水天一髪の辺、かすかにかすかに一点の黒き物見ゆ、巨鳥か、鯨か、船か、島か。島ならばあれこそめざす絶島と思えど、どうも島にてはなきようなり、島にあらずば何か、余はいかにもしてその正体を見届けんと、なおしばらく甲板を去らざりしが、かの黒き物は近づくごとく、近づかざるごとく、そのうちに日はまったく暮れて海上暗くなり、わが船上に一点の燈火輝くのみ、四方の物まったく見えずなりしかば、余は詮方なく、船中に唯一個ある昇降口を下って、船底の寝室に入り、このような時には早く寝ね、夢の間に一夜を過すにかぎると、すぐさま毛布をかぶって身を横たえしが、胸は異様にとどろいて容易に眠られず、これぞいわゆる虫の知らせと云うものならん。


      五

 しかし余は一時間とたたぬうちにうつらうつらとなれり、眠れる間は時刻のたつを知らず、いつの間にか真夜半《まよなか》となりしならん、余は夢に恐ろしく高き塔に昇り、籠手《こて》をかざしてあまねく世界を眺めいるうち、フト足踏みすべらして真逆様に落つると見、アッと叫んで眼をさませば、塔より落つると見しは夢なれど、実際余は、初め船底の右舷に眠りいたりしが、いつの間にか左舷にまろびいたるなり。オヤオヤと叫んで立ちあがるに、船底は大波を打つごとく、足許ふらふらとして倒れんとす、さては余の眠れる間に、天候にわかに変り、海上はよほど荒るると見えたり、願わくは波速かに静まれと祈りつつ、ふたたび船底に身を横たえる、途端もあらせず、船は何物かに衝突しけん、凄まじき音して少しく右舷に傾けり、「暗礁! 暗礁!」と余はただちに叫べり、人外境とも云うべきこのような大海原にて、他船に衝突すべしとは覚えねば、余はいかなる暗礁に衝突せしかを見んと、バネのごとく跳ね起き一散走り、足許定まらず幾度かまろばんとするをようやくこらえて、船底と甲板との間にただ一個ある昇降口めざして走りゆくに、その途々《みちみち》余は甲板上に起る異様なる叫び声と、人々の激しく乱れ騒ぐ足音とを聴けり、されどかかる叫声《きょうせい》とかかる足音とは、船が暗礁に乗りあげし時など、常に起る事なれば格別怪しみもせず、やがて船内より甲板上に出ずる梯子に達し、その梯子を昇るも夢中にて、昇降口よりヒョイと甲板上に顔を現わせしが、その時余の驚愕はいかばかりなりしぞ。空には断雲の飛ぶ事矢のごとく、船は今想像もできぬほどの速力をもって、狂風に吹かれ怒濤を浴びつつ走りいるなり、されど余の驚きしはその事にあらず、見よ! 見よ! 断雲の絶間より、幽霊火のごとき星の照らす甲板上には、今しも一団の黒影入り乱れて闘いおるなり、人数およそ二十人ばかり、我が帆船の水夫のみにはあらず、オオ、これ何事ぞ! 何事ぞ! 船は決して暗礁に衝突せしにあらず、先刻何物にか衝突せし響きの聴えしは、これ海賊船がわが船に乗りかけしなり、日の入るころ水天一髪の彼方はるかに、一点の怪しき黒影見えしは、あれこそ恐るべき海賊船なりしならん、今しも海賊はわが船の甲板に乱
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