ら黄色い紙に何か細々と記した物が出て来た。
 博士は急ぎ拾い上げ、鼻眼鏡を取り出して鼻にかけ、眉の間に皺を寄せながら熱心に読み始めた。なにしろ鉛筆の走り書きで、文字も今は朦朧となっているが、読む事数行にして、博士はにわかに愕然たる様子で、
「ホー、怪異《ミラクルス》! 怪異《ミラクルス》! 怪異《ミラクルス》!」と、あたかも一大秘密でも見出せしごとく、すぐさまその黄色い紙を衣袋《かくし》に押し込み、物をも云わず、岬の上の別荘めざして駆け出した。
 二人の娘は呆気にとられ、
「阿父様《おとうさま》、なんですなんです」と、その跡を追いかけたが、博士は振り向きもせず、別荘の自分の書室に飛び込むやいなや、扉に鍵をピンとおろし、件《くだん》の不思議なる書面を卓上に押しひろげ、いよいよ深く眉の間に皺を寄せて、ふたたび熱心に読み始めた。
 二人の娘は室の外まで押し寄せきたり、鍵のおろされたる扉をコトコトと叩いて、
「阿父様《おとうさま》、何か珍しい事なら聴かせて頂戴《ちょうだい》な、あら鍵なんかおろしてひどいこと――」と呟けど、博士は知らぬ顔、「お前達の聴いても役に立たぬ事だよ」と、一声云ったばかりである。じつに博士は娘にまでも秘密にするほどの事であるが、余は今敬愛なる読者諸君のためにこの書面に書いてある世にも不思議なる出来事を、少しも隠さず紹介する事としよう。


      三

 書面はまず左のごとき悲壮なる文字をもって始まった。
 この瓶もし千尋《ちひろ》の海底に沈まずば、この瓶もし千丈の巖石《がんせき》に砕けずんば、この地球上にある何人《なにびと》かは、何時か世界の果に、一大秘密の横たわる事を知り得べし、余はエスパニアの旅行家ラゴンと云うものなり、世界一周の目的をもって本国を去り、ヨーロッパ、アジア、アメリカの各地を遍歴して、到る処に珍らしき物を見、面白き境遇を経て、ついに来りし処はアフリカ西岸のモロッコ国なり、ここより北に行く船に乗じ、ジブラルタル海峡を渡れば、安全にふたたび本国に帰る事を得べかりしに、余はなんたる痴漢ぞや、ほとんど世界の七分の一を経めぐって、余の好奇心はいまだ満足せず、さらに珍らしき場所に到り、面白き物を見んと、モロッコ国マザガン港より一種異様なる船に乗れり、この船は三本マストの帆前船《ほまえせん》にて、その舷《ふなべり》は青く錆びたる銅をもって張られ、一見してよほど古き船と知らる、船長はアフリカ人にて、色は赤銅《しゃくどう》のごとく、眼は怪星のごとく、灰色の鬚をもって顔の半面をおおわれ、きわめて粗野の人物と見ゆ、その配下《てした》には七人の水夫あり、皆土人にて、立って歩まずば、猛獣かと疑わる、しかし性質は案外温順のようなり。
 この船は元来真珠取船にて、アフリカの西岸に沿い、南太平洋を渡って、ほとんど人外境とも云うべき南方に向うものなれば、旅客や貨物を載すべきものにあらず、しかるを余はいかにして便乗せしかと云うに、ちょうどモロッコ国マザガン港の桟橋に達せし時、この異様なる船の桟橋に近く碇泊せるがふと眼に入り、傍人にいかなる船ぞと問えば、真珠取りにと明日はこの港を出帆し、世人の知らざる南方の絶島に行く船なりと云うに余の好奇心はにわかに動きて矢も楯もたまらず、ただちに端舟《はしけ》を漕いでその舷門に至り、言語通ぜねば手真似をもって便乗をこい、船長の拒むをしいて、二百ドルの金貨を握らせ、ようやく便乗を許されしなり。もとより客室など云う気のきいたものはなければ、余は船の最も底の倉庫のごとき処に毛布を敷き、そこを居室兼寝室と定めしも、天気晴朗なる日はそのような薄暗き処に閉じこもる必要なし、余は航海中の多くを風清き甲板上に暮すつもりにて、一日も早く世人の知らざる南方の絶島に着し、真珠取りの面白き光景を見んと、それをのみ唯一の楽しみとせしが、あにはからんやこの船こそ、余のためには魔の船となりけり。


      四

 この船は名を「ビアフラ」と云う、余は便乗を許されし翌日正午頃マザガン港を出発せり。針路を南に南にと取って、アフリカの西岸にそい、おりから吹く順風に帆は張り切れんばかり、舳に砕くる波は碧海に玉を降らし、快速力は汽船もおよばぬばかりなり。
 そもそもアフリカ西岸の航路は、以前はヨーロッパよりアジアに向かう唯一の航路にして、喜望峯を迂回して行く船の幾度《いくたび》か恐しき目に遭いし事は、今なお世人の記憶せる処ならん、しかるにスエズ運河の通じて以来、普通の船舶にてこの航海《こうろ》を取るものはきわめてまれに、長き航海中汽船のごときはほとんど見んとして見るを得ず、ただ三角帆の怪しき漁船の、おりふし波間に隠見せるを望むのみ、昔はこの辺に絶えず海賊横行せりと聞けど、今はかかる者ありとも覚えず。
 余は昼に大抵帆船「ビア
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