絶望! 絶望! 余はほとんど狂せんとせり、いかにもして地球の果には行きたくなし、それには船を停めざるべからずと、夢中に走って船首に至り、平常ならばとても一人で動かす事も出来ぬ大錨を、双手に抱きあげて海中に投げ込めり、されど猛獣のごとく走れる船を、錨にて停めんとするはなんらの痴愚ぞ、錨は海底に達せざるに、錨綱にフッと切れて、船の走る事いよいよ急なり。
唯一の錨もすでに海底に沈めり、余は絶望のあまり甲板に尻餅つきしが、しばらくして心つけば、余の全身は板のごとくなりいたり、なにゆえぞと問うなかれ、余は先刻よりあまりの驚きと悲しみのために、今まではそれに思い至らざりしが、この辺海上の寒気の激しさよ! 吐《つ》く息もただちに雪となり凍《こうり》とならんばかりにて、全身海水に濡れたる余の衣服は、何時の間にか凍りて板のごとくなりしなり、衣服はすでに甲板に凍りつきて立たんにも容易に立つあたわず、余はむしろこのままに凍え死なん事を望めり、されどまた多少の未練なきにあらず、容易に立つあたわざるを無理に立てば、氷は離れずベリベリと音して衣服は破れたり、露出《むきだ》されたる余の肌に当る風の寒さよ、オオ風と云えば、風はまたますます激しきを増し来りしようなり、海は泡立ち逆巻き、怒濤はふたたび甲板に打ち上げ来って、巨浪《きょろう》は余を呑み去らんとす、風さえ余を吹飛ばさんとす、余はあまりの恐ろしさに堪えず、思わず船底に逃げこめり。
九
船底に逃げこみ、昇降口の蓋《おおい》を閉せば、その陰鬱なる事さながら地獄のごとし、しかり、ここはたしかに地獄なり、余の頭上にあたる甲板上には、今なお身を大檣《たいしょう》に縛《ばく》せるまま死せる人間もあるにあらずや。
船底は前にも云えるがごとく、昇降口の破れ目より打ちこみ来りし海水に濡れて、ほとんど坐るに所もなし、余は何よりも寒さに堪えねば急ぎ衣服を着替えんと余のトランクを開くに、幸い衣服は濡れずにあり、ただちに濡れたるを脱いで新しきを身に着《つ》けしが、二枚や三枚にては到底寒気を防ぐあたわず余はトランク中のすべての衣服を着尽したれど、なお寒さをしのぐあたわず、毛布は着んにもすでに濡れたり、いかがはせんと思案せしが、ヨシヨシ船尾の方にあたる倉庫中には、たしかに船員の衣類があるはずなりと、余はただちにそこに走り、なお消えやらで天井に懸りい
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