荷物を悉くこちらへ運んでここで暫く御介抱致す考です。それで私はこれからそれを取りに帰ります。その間この東助をお側に付けておきますから、二、三日このまま御辛抱なすって下さいまし。」
と耳元で囁くと、博士は静かに黙頭《うなず》いた。
文彦は立ち上って東助に向い、
「それでは僕はこれから行って来るから、留守を確然《しっかり》預かっていてくれ。」
「よろしゅうございます。どうも御苦労様でござります。」
「じゃ後をよろしく頼むよ。」
と、再びその洞を出て元来た道に引返した。
二日目の朝いよいよ自分の天幕《テント》に帰ってまず飛行船を組み立て天幕などを取片付けてその中に入れ、大急ぎで飛行船に乗じて、又かの洞穴に立ち返った。
飛行船を降りるや否や、
「東助、東助。」
と呼んだが更に答がない。
「どうしたんだろう。」
と独言《つぶや》きながら奥に行くと、灯《あかり》は消えて四辺は黒白《あやめ》も分かぬ真の闇だ。
「叔父さん※[#感嘆符二つ、1−8−75] 只今帰りました。文彦です。東助。東助は居ないか。」
と大声を挙げたが依然として、答うるものは物凄い己れの声の反響のみだ。
文彦は一時に不安の念がむらむら[#「むらむら」に傍点]と起って、急ぎ懐中洋燈を点じて見ると、
「や。や。」
誰も居ない※[#感嘆符三つ、47−下−6]
洞穴の中は虚《から》だ※[#感嘆符三つ、47−下−7]
ただ一人杉田の亡骸《なきがら》のみが残っている。
「失念《しま》った※[#感嘆符三つ、47−下−9]」
と叫んで暫時我を忘れて茫然としたが、たちまち気を取り直して、側に放《な》げ棄てておいた自分の鉄砲を取り上げるや否や、駆け出そうとすると、何物にか躓《つまず》いてばったり仆れた。
はっと思って再び洋火《ランプ》を点じて見ると、
東助だ※[#感嘆符三つ、47−下−15] 東助が銃を持ったまま俯伏せに仆れている※[#感嘆符三つ、47−下−16]
文彦は矢庭にそれを抱き起して、
「東助※[#感嘆符三つ、47−下−18] どうしたんだ、慥《しっか》りしろッ。」
と声をかけながら、気付を呑ませるとようよう息を吹き返したと思えば突然《いきなり》、
「畜生、逃がしてなるか。」
と立ち上ろうとするのを慥りと抱き止めて、
「これ東助。僕だ、文彦だ。この様子は一体どうしたのだ。」
と尋ねると、東助はこの声を聞くや否や、文彦に縋り付いて、
「若旦那様※[#感嘆符三つ、48−上−7] 残念でござります。」
「どうした。叔父さんはどうした。」
東助は欷《しゃく》り上げて、
「私がお預かりしていながら、何とも申訳はありませぬが、貴方様のお出発《た》ちなされた後、大旦那様の御介抱を致しておりますると、二日目の晩になって、入口の方で何やら足音が致しまするで、必然《てっきり》貴方様が御帰りなされた事と存じまして、早速御迎に出ますると、貴方様ではのうて、」
「えッ?」
「あの面憎い秋山男爵。」
「何? 秋山男爵?」
「はい。下僕《しもべ》と二人で這入って参ります。」
「うう。それからどうした。」
「ここだここだといいながら、闇《くらがり》で見えなかったのか、私の方にも目もくれず、二人でずんずん奥へ行きますからどうするかと、私も後から蹤いて参りますると、大旦那様のお姿を見るが早いか、『やや篠山博士ですか、秋山が月子さんの御言葉でお迎に上りました』と申しますから、私は矢庭にそこへ飛び込んで、旦那様はもう私の若旦那が二日も前にお会いになって、今道具を取片付けてこちらへお越しになるはずだと申しますると……」
「うん。それからどうした。」
「秋山の畜生め。思い懸けない私を見て吃驚したようでござりましたが、供の平三に何かいい付けると、乱暴にも平三が、あの御衰弱なされた旦那様を引担いで逃げようと致しますから……」
「何平三が?」
「はい。それ逃がしてなるものかと私も一生懸命に争いましたが悲しい事には二人に一人、いよいよ洞穴を出ようと致しますので、せめてこの上は鉄砲で打ち殺してなりとやろうと思って追かけて出かける処を、秋山男爵に乳の辺りに当身を喰《くら》わせられて、それから後は前後不覚、只今貴方様のお声で始めて正気になりましたような次第でござりまする。」
と涙ながらに物語った。
聞き終った文彦は落胆《がっかり》したように、
「ああ折角ここまで苦心しながら、残念な事をしたなあ。」
と投げるがごとくいい棄てて、慨然として天を仰いで長大息したが、再び決然として立ち上り、
「東助、こうなっては腕づくでも叔父さんを取り返さなければならない。叔父さんを無事に連れ帰るのは誰でもいいが、このままにしておいては奸佞《かんねい》邪智の秋山男爵だ、この上如何なる悪計を持って我らを苦しめ、かつ鳩のような月子さんを翫《も
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