これだけの確かな手懸りがあれば、もう再び叔父さんのお目に懸るのも遠くはあるまい。さあ今一奮発だ。」
と、自ら先に立って歩き出したので、東助もようよう涙を止めて続いて行った。

    洞穴内の怪音

 かれこれ三、四里も進んだ頃、もう四辺は次第に暗くなって来た。
「もう夜になっては探せないから、今日はどこかに野宿して、明朝早く探すことにしようじゃないか。」
と、適当な場所をと見廻したが、ここらは一面の禿山と原で更に露を凌ぐに足るほどな処もない。
と、突然東助が、
「若旦那様、先方《むこう》に洞穴があります。」
と叫んだので、
「どれ。」
と指先《ゆびさ》す方を見ると十町ばかり向うの山の麓に一個《ひとつ》の洞穴がある。
「あの中に一泊しよう。」
とそこをさして行って見ると、思ったよりは広い洞《あな》で奥の方も余程深いらしい。
 荷物を卸して、座りながら、革鞄《かばん》の中からビスケット[#「ビスケット」は底本では「ビスミット」]を取り出して食っていると、
 不思議※[#感嘆符三つ、45−上−5] 不思議※[#感嘆符三つ、45−上−5]
 洞穴の奥で何やら唸《うめ》くような声がする※[#感嘆符三つ、45−上−6] 二人は驚いて、互に顔を見合せていたが、東助は声を潜めて、
「あの声は何でしょう。」
「さあ。」
と、始めは空耳ではないかと、耳を澄ますと、その唸り声は尚聞える。静かな、湿っぽい、洞穴に、弱々しい、切なげなその声が幽《かす》かに聞えて、二人は思わず戦慄した。
 文彦は矢庭《やにわ》にライフル銃を取り上げて、装填しつつ立ち上り、東助をさし招いた。
 東助も同じく玉籠めして主人の後に続いた。二人はさながら猫の鼠を覗《ねら》うように、息を凝らし、足音を忍ばせてその音のする方に這い寄った。
 二、三間も行くと道は右に折れている。
 唸り声は正しくそこから洩れて来るので、余程遠いと思ったのは、その声の余りに幽かに弱々しかったからで。
 突き出た大きな岩の手前まで来ると、その声はいよいよ鮮《あきらか》になった。
 正しくそれは人の唸り声だ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 急ぎその岩を巡ると、広い一室の真中に、一箇の蝋燭が今にも消えんばかりに点って、ほの白く四辺を照らしているその下に、何やら黒い物影が二つ横わっている。唸り声はその中の一つから起っているので、その黒い影は時々身体を動かしながら、如何にも苦しげに唸いているのだ。
 文彦は何を思ったか、銃をそこに投げすてて、その側に駆けよって、電気ランプを点した。
 四辺が一時にパッと明るくなった。仆《たお》れているのは二人の洋装の男子である。
 文彦はそのランプの光で二人の顔をすかし見たが、
「あッ」
といったきり、洋燈《ランプ》をそこに取り落して終った。この様子に東助は吃驚して駆け寄りながら、
「もし若旦那様どうなさりました。もし若旦那様。」
といわれて文彦はようように気を取り直して我に還ったが、再びその人に縋り付いて、
「叔父さん。僕です、文彦です。気を慥《たし》かに持って下さい。文彦です。文彦です。」
といいながら抱き起す。
 東助も始めてそれと心付いて、
「おお篠山の旦那様でございますか。どうぞ慥《しっか》りなさって下さい。若旦那様と東助がお迎に上りました。もし、」
と縋り付いて耳元で声をかける。
「薬※[#感嘆符二つ、1−8−75] 水を早く※[#感嘆符三つ、46−上−8]」
「はい。」
と東助がさし出す気付を口に入れて、吸筒《すいとう》の水を呑ませると、今迄息も絶え絶えに唸いていた博士は、ようように眼《まなこ》を開けた。
「叔父さん。お気が付きましたか。文彦です。僕です。」
「おお文彦か。」
「はい。」
「篠山の旦那様! お気がつかれましたか。」
「よく来てくれた。」
と一口言ったが、一時に安心するとともに、今迄張りつめた気も弛んで、再びそこに仆れようとする。
「叔父さん、どうぞ確然《しっかり》して下さい。」
とブランデーを口に注ぐと、漸く又正気に復して、
「よし。もう俺は大丈夫だ。杉田を、杉田を、」
と、指示すので、
「はい。」と文彦は側に打ち仆れている助手の杉田を抱き起して見ると、もうすでに絶命《ことき》れて身体は氷のように冷え切っている。
 それでも万一と、薬を呑ませて色々と介抱したが、もう如何とも仕方がない。
「叔父さん。杉田はもう駄目です。とても助かりません。」
「そうか。可哀相《かわいそう》な事をした。」
 博士は思わずハラハラと涙を流した。

    博士の行衛

 暫くして文彦は思い出したように、
「叔父さん。今私どもの道具はここから十五里ばかりの処に置いてあります。そこまで御連れ申したいですけれど、この御様子ではとてもお動かしすることは出来ませんから、一まず
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