てあそ》ぶか知れない。さあ今から出かけるからお前も蹤いて来い。」
「どうぞこの敵を取って下さい。私はもう死んでもきっと秋山めを打ち懲らしてやらずにはおく事ではござりませぬ。」
 二人は急ぎ外に出て、飛行船に乗るや否や全速力を以て上昇した。これは、秋山がすでに、飛行船に叔父を乗せて地球へ向けて出発してはいないかを慥かめるためで。

    月界の活劇

 目指す秋山の姿はいずこと、四辺を見廻したがまだ出発した形跡はない。やれ一まず安心と、今度は双眼鏡で前の洞の附近を見回すと、
「難有い。まだ居る※[#感嘆符三つ、49−下−5]」
 洞穴から一里ばかりも距《へだた》った処に、一箇の飛行船があって、その側で二箇《ふたり》の人が何か頻りに立働いている。
 疑いもなく秋山男爵の一行だ。
 しかしもう一瞬も猶予はならない。彼らがかく立働いているのは慥かに出発の準備に相違ない。
 文彦は速力を早めて近づくと、先方もそれと察したか忽々《そこそこ》に飛び乗って、もはや飛行船は飛び去る準備をすべく、その大きな両翼を緩やかに動かし初めた。
 まだ両者の距離は一|哩《マイル》もある。
 目下の一瞬は文彦に取っては千万年にも代え難いのだ。彼は最極度の電流を出《いだ》して突進せしめながら一発の空砲を放った。
 今しも全速力を出そうと把手《ハンドル》を握っていた秋山男爵は、この砲声に思わずその手を放すと、把手は逆に回転して、飛行船は少しく下降した。ハッと思って持ち直した時にはもう文彦の飛行船は手の届くくらいの近距離に近づいていた。
「秋山男爵※[#感嘆符三つ、50−上−4]」
 文彦は、勢鋭く声をかけて、
「久しぶりにお目に懸ります。」
と態《わざ》と丁寧に会釈をした。
「左様。」
と秋山男爵は傲然として答えた。
 文彦は言葉を継いで、
「秋山男爵。改めて申しますが僕は叔父を受取りに参ったのです。」
「叔父? 叔父というのは篠山博士の事ですか。」
「左様。」
 秋山男爵は俄に言葉を荒らげて、
「馬鹿な事をいうな。虫のいい事をいうにしても大概にしておくがいい。僕がここまで態々《わざわざ》死を決して来たのは何のためだ。ただ篠山博士の在処を捜らんがためだ。それほどにして得た博士を何条おいそれと貴様に渡す事が出来るものか。馬鹿※[#感嘆符三つ、50−上−20] それほど欲しくば何故自分で捜さんか。」
と図々しくも逆捻《さかねじ》を喰わせて、
「僕は命賭けて得た博士だ。それが欲しくば貴様も生命を賭して奪うがいい。」
「よろしい。決闘※[#感嘆符三つ、50−下−5] 用意をなさい。」
「生意気な口を利く二才だ。さあ相手になってやろう。」
と互に銃を身構える折しも、不意に一発の銃声とともに、秋山男爵は、
「しまった※[#感嘆符三つ、50−下−9]」
と一口叫んで反り返った。
 文彦はこの様に驚いていると、
 秋山男爵は苦しげにこなたを睨んで、
「雲井、貴様は卑怯にも斯し討ちにしたな。」
 東助はすっくと立ち上って、
「貴様を射ったなあ若旦那じゃねえ。若旦那は貴様のような根性の曲った事はなさらねえ。貴様を射ったなあ己だ。今若旦那と命を取遣《とりやり》をする前に、俺は先刻洞穴の中で貴様から貰ったあの返礼をしてやったのだ。」
と如何にも憎々しげにいい放った。
 秋山男爵はこの言葉を聞いて、
「チェッ残念※[#感嘆符三つ、51−上−1]」
と一言叫んだと思うと、急所の傷手にはかなく絶命して終った。

 文彦は悪人ながらも男爵の死を悼んで杉田とともに月界に手厚く葬り、その上に紀念碑を建てて其後《それから》一週間ばかりその地に止って、博士のやや元気を回復するを待ち、博士、東助、及び主人の死後改悛の意を表して服従した平三と各々二人ずつ二個の飛行船に分乗して地球に向って出発したのである。
[#地付き](「探検世界」明治四〇年一〇月増刊号)



底本:「懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説」中央公論新社
   2001(平成13)年6月10日初版発行
初出:「探檢世界秋季臨時増刊 第四巻第三號 月世界」成功雜誌社
   1907(明治40)年10月
※「ランプ」と「洋燈《ランプ》」と「洋火《ランプ》」、「慥《しっか》り」と「確然《しっかり》」の混在は、底本通りです。
入力:田中哲郎
校正:川山隆
2006年7月20日作成
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