このこと》は旦那樣《だんなさま》にも奧樣《おくさま》にも毎度《いくたび》か申上《まうしあ》げて、何卒《どうか》今夜《こんや》の御出帆《ごしゆつぱん》丈《だ》けは御見合《おみあは》せ下《くだ》さいと御願《おねが》ひ申《まう》したのですが、御兩方《おふたり》共《とも》たゞ笑《わら》つて「亞尼《アンニー》や其樣《そんな》に心配《しんぱい》するには及《およ》ばないよ。」と仰《おほ》せあるばかり、少《すこ》しも御聽許《おきゝ》にはならないのです。けれど賓人《まれびと》よ、私《わたくし》はよく存《ぞん》じて居《を》ります、今夜《こんや》の弦月丸《げんげつまる》とかで御出發《ごしゆつぱつ》になつては、奧樣《おくさま》も、日出雄樣《ひでをさま》も、决《けつ》して御無事《ごぶじ》では濟《す》みませんよ。』
『無事《ぶじ》で濟《す》まんとは――。』と私《わたくし》は思《おも》はず釣込《つりこ》まれた。
『はい、决《けつ》して御無事《ごぶじ》には濟《す》みません。』と、亞尼《アンニー》は眞面目《まじめ》になつた、私《わたくし》の顏《かほ》を頼母《たのも》し氣《げ》に見上《みあ》げて
『私《わたくし》は貴方《あなた》を信《しん》じますよ、貴方《あなた》は决《けつ》してお笑《わら》ひになりますまいねえ。』と前置《まへおき》をして斯《か》う言《い》つた。
『ウルピノ[#「ウルピノ」に二重傍線]山《さん》の聖人《ひじり》の仰《おつしや》つた樣《やう》に、昔《むかし》から色々《いろ/\》の口碑《くちつたへ》のある中《なか》で、船旅《ふなたび》程《ほど》時日《とき》を選《えら》ばねばならぬものはありません、凶日《わるいひ》に旅立《たびだ》つた人《ひと》は屹度《きつと》災難《わざはひ》に出逢《であ》ひますよ。これは本當《ほんたう》です、現《げん》に私《わたくし》の一人《ひとり》の悴《せがれ》も、七八|年《ねん》以前《いぜん》の事《こと》、私《わたくし》が切《せつ》に止《と》めるのも聽《き》かで、十|月《ぐわつ》の祟《たゝり》の日《ひ》に家出《いへで》をしたばかりに、終《つひ》に世《よ》に恐《おそ》ろしい海蛇《うみへび》に捕《と》られてしまいました。私《わたくし》にはよく分《わか》つて居《ゐ》ますよ。奧樣《おくさま》とて日出雄樣《ひでをさま》とて今夜《こんや》御出帆《ごしゆつぱん》になつたら决《けつ》して御無事《ごぶじ》では濟《す》みません、はい、其《その》理由《わけ》は、今日《けふ》は五|月《ぐわつ》の十六|日《にち》で魔《ま》の日《ひ》でせう、爾《そ》して、今夜《こんや》の十一|時《じ》半《はん》といふは、何《な》んと恐《おそ》ろしいでは御座《ござ》いませんか、魔《ま》の刻限《こくげん》ですもの。』
私《わたくし》は聽《き》きながらプツと吹《ふ》き出《だ》す處《ところ》であつた。けれど老女《らうぢよ》は少《すこ》しも構《かま》はず
『賓人《まれびと》よ、笑《わら》ひ事《ごと》ではありませぬ、魔《ま》の日《ひ》魔《ま》の刻《こく》といふのは、一年中《いちねんちゆう》でも一番《いちばん》に不吉《ふきつ》な時《とき》なのです、他《ほか》の日《ひ》の澤山《たくさん》あるのに、此《この》日《ひ》、此《この》刻限《こくげん》に御出帆《ごしゆつぱん》になるといふのは何《な》んの因果《いんぐわ》でせう、私《わたくし》は考《かんが》へると居《ゐ》ても立《た》つても居《を》られませぬ。其上《そのうへ》、私《わたくし》は懇意《こんい》の船乘《せんどう》さんに聞《き》いて見《み》ますと、今度《こんど》の航海《かうかい》には、弦月丸《げんげつまる》に澤山《たくさん》の黄金《わうごん》と眞珠《しんじゆ》とが積入《つみい》れてあります相《さう》な、黄金《わうごん》と眞珠《しんじゆ》とが波《なみ》の荒《あら》い海上《かいじやう》で集《あつま》ると、屹度《きつと》恐《おそ》ろしい祟《たゝり》を致《いた》します。あゝ、不吉《ふきつ》の上《うへ》にも不吉《ふきつ》。賓人《まれびと》よ、私《わたくし》の心《こゝろ》の千分《せんぶん》の一《いち》でもお察《さつ》しになつたら、どうか奧樣《おくさま》と日出雄樣《ひでをさま》を助《たす》けると思《おも》つて、今夜《こんや》の御出帆《ごしゆつぱん》をお延《の》べ下《くだ》さい。』と拜《おが》まぬばかりに手《て》を合《あは》せた。聽《き》いて見《み》るとイヤハヤ無※[#「(禾+尤)/上/日」、22−10]《ばか》な話《はなし》! 西洋《せいよう》でもいろ/\と縁起《えんぎ》を語《かた》る人《ひと》はあるが、此《この》老女《らうぢよ》のやうなのはまア珍《めづ》らしからう。私《わたくし》は大笑《おほわら》ひに笑《わら》つてやらうと考《かんが》へたが、待《ま》てよ、
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