》を開《ひら》いた。
『けれど、私《わたくし》は常《つね》に確信《かくしん》して居《ゐ》ます、天《てん》には一種《いつしゆ》の不思議《ふしぎ》なる力《ちから》があつて、身《み》も心《こゝろ》も美《うつ》くしき人《ひと》は、屡々《しば/″\》九死《きゆうし》の塲合《ばあひ》に瀕《ひん》しても、意外《いぐわい》の救助《すくひ》を得《う》る事《こと》のあるものです。』と言《い》ひながら今《いま》しも懷《なつ》かしき母君《はゝぎみ》の噂《うわさ》の出《い》でたるに、逝《ゐ》にし夜《よ》の事《こと》ども懷《おも》ひ起《おこ》して、愁然《しゆうぜん》たる日出雄少年《ひでをせうねん》の頭髮《かしら》を撫《な》でつゝ
『私《わたくし》はどうも春枝夫人《はるえふじん》は、其後《そのゝち》無事《ぶじ》に救《すく》はれた樣《やう》に想《おも》はれる。此樣《こん》な事《こと》を云《い》ふと妙《めう》だが、人《ひと》は[#「人《ひと》は」は底本では「人《ひと》はは」]一種《いつしゆ》の感應《かんおう》があつて、私《わたくし》の如《ごと》きは昔《むかし》からどんな遠方《えんぽう》に離《はな》れて居《を》る人《ひと》でも、『あの人《ひと》は未《ま》だ無事《ぶじ》だな』と思《おも》つて居《を》る人《ひと》に、死《しん》だ例《ためし》はないのです。それで、私《わたくし》は今《いま》、春枝夫人《はるえふじん》が波間《なみま》に沈《しづ》んだと聞《き》いても、どうも不幸《ふこう》なる最後《さいご》を遂《と》げられたとは思《おも》はれない、或《あるひ》は意外《いぐわい》の救助《すくひ》を得《え》て、子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]なる良君《をつと》の許《もと》へ皈《かへ》つて、今頃《いまごろ》は却《かへつ》て、君等《きみら》の身《み》の上《うへ》を憂慮《うれひ》て居《を》るかも知《し》れませんよ。』と言葉《ことば》を切《き》つて、淋《さび》し相《さう》に首《くび》項垂《うなだ》れて居《を》る日出雄少年《ひでをせうねん》の項《うなじ》に手《て》を掛《か》け
『それに就《つ》けても、惡《にく》む可《べ》きは海賊船《かいぞくせん》の振舞《ふるまひ》、かゝる惡逆無道《あくぎやくむだう》の船《ふね》は、早晩《はやかれおそかれ》木葉微塵《こつぱみぢん》にして呉《く》れん。』と、明眸《めいぼう》に凛乎《りんこ》たる光《ひかり》を放《はな》つと、聽《き》く日出雄少年《ひでをせうねん》は、プイと躍立《とびた》つて。
『眞個《ほんとう》に/\、海軍《かいぐん》の叔父《おぢ》さんが海賊船《かいぞくせん》を退治《たいぢ》するなら、私《わたくし》は敵《てき》の大將《たいしやう》と勝負《しようぶ》を决《けつ》しようと思《おも》ふんです。』
『其處《そこ》だツ、日本男兒《につぽんだんじ》の魂《たましひ》は――。』と木像《もくぞう》のやうに默《だま》つて居《を》つた武村兵曹《たけむらへいそう》は不意《ふい》に叫《さけ》んだ。
『其時《そのとき》は、此《この》武村新八郎《たけむらしんぱちらう》が先鋒《せんぽう》ぢや/\。』と威勢《いせい》よくテーブルの上《うへ》を叩《たゝ》き廻《まわ》すと、皿《さら》は跳《をど》つて、小刀《ナイフ》は床《ゆか》に落《お》ちた。それから、例《れい》の魔《ま》の日《ひ》魔《ま》の刻《こく》の一件《いつけん》に就《つ》いては、水兵《すいへい》一同《いちどう》は私《わたくし》と同《おな》じ樣《やう》に、無※[#「(禾+尤)/上/日」、160−9]《ばか》な話《はなし》だと笑《わら》つてしまつたが、獨《ひとり》櫻木大佐《さくらぎたいさ》のみは笑《わら》はなかつた。無論《むろん》、縁起的《えんぎてき》には、其樣《そん》な事《こと》は信《しん》ぜられぬが、かの亞尼《アンニー》とかいへる老女《らうぢよ》は、何《なに》かの理由《わけ》で、海賊船《かいぞくせん》が弦月丸《げんげつまる》を狙《ねら》つて居《を》る事《こと》をば、豫《あらかじ》め知《し》つて居《を》つたのかも知《し》れぬ。それが或《ある》事情《じじやう》の爲《た》めに明言《めいげん》する事《こと》も出來《でき》ず、さりとて主家《しゆか》の大難《だいなん》を知《し》らぬ顏《かほ》に打※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、161−2]《うちすぎ》るにも忍《しの》びで、かくは縁起話《えんぎばなし》に托言《かこつ》けて、其《その》夜《よ》の出發《しゆつぱつ》を止《とゞ》めたのかも知《し》れぬ。と語《かた》つた。成程《なるほど》斯《か》う聽《き》いて見《み》れば、私《わたくし》も思《おも》ひ當《あた》る節《ふし》の無《な》いでもない。また、海賊船《かいぞくせん》海蛇丸《かいだまる》の一條《いちじやう》については、席上
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