ん》を焚《た》いて逃《に》げやうとも如何《いか》で逃《に》げ終《を》うする事《こと》が出來《でき》やう。勿論《もちろん》、かの船《ふね》は私《わたくし》の想像《さうざう》するが如《ごと》き海賊船《かいぞくせん》であつたにしろ、左樣《さう》無謀《むぼう》には本船《ほんせん》を撃沈《げきちん》するやうな事《こと》はあるまい、印度洋《インドやう》の平均水深《へいきんすいしん》は一|千《せん》八|百《ひやく》三十|尋《ひろ》、其樣《そん》な深《ふか》い所《ところ》で輕々《かろ/″\》しく本船《ほんせん》を撃沈《げきちん》した處《ところ》で、到底《たうてい》かの船《ふね》の目的《もくてき》を達《たつ》する事《こと》は出來《でき》まいから。けれど、彼方《かなた》天魔《てんま》鬼神《きじん》を欺《あざむ》く海賊船《かいぞくせん》ならば一度《ひとたび》睨《にら》んだ船《ふね》をば如何《いか》でか其儘《そのまゝ》に見遁《みのが》すべき。事《こと》面倒《めんだう》と思《おも》はゞ、昔話《むかしばなし》に聞《き》く海賊船《かいぞくせん》の戰術《せんじゆつ》を其儘《そのまゝ》に、鋭《するど》き船首《せんしゆ》は眞一文字《まいちもんじ》に此方《こなた》に突進《とつしん》し來《きた》つて、手《て》に/\劍戟《けんげき》を振翳《ふりかざ》せる異形《ゐげう》の海賊《かいぞく》輩《ども》は亂雲《らんうん》の如《ごと》く我《わ》が甲板《かんぱん》に飛込《とびこ》んで來《く》るかも知《し》れぬ。若《も》し然《さ》なくば隱見《ゐんけん》出沒《しゆつぼつ》、氣長《きなが》く我《わが》船《ふね》の後《あと》を追《お》ふ内《うち》、本船《ほんせん》が何時《いつ》か海水《かいすい》淺《あさ》き島嶼《たうしよ》の附近《ふきん》か、底《そこ》に大海礁《だいかいせう》の横《よこたは》る波上《はじやう》にでも差懸《さしか》かつた時《とき》、風《かぜ》の如《ごと》く來《きた》り、雲《くも》の如《ごと》く現《あら》はれ出《い》でゝ、一|撃《げき》の下《もと》に其處《そこ》に我《わ》が船《ふね》を撃沈《げきちん》する積《つもり》かも知《し》れぬ。
斯《か》う考《かんが》へると實《じつ》に底氣味《そこきみ》の惡《わる》いも/\、私《わたくし》は心《こゝろ》の底《そこ》から寒《さむ》くなつて來《き》た。
兎角《とかく》する程《ほど》に怪《あやし》の船《ふね》はます/\接近《せつきん》し來《きた》つて、白《しろ》、紅《あか》、緑《みどり》の燈光《とうくわう》は闇夜《やみ》に閃《きら》めく魔神《まじん》の巨眼《まなこ》のごとく、本船《ほんせん》の左舷《さげん》後方《こうほう》約《やく》四五百|米突《メートル》の所《ところ》に輝《かゞや》いて居《を》る。
私《わたくし》は胸《むね》を跳《をど》らせつゝ我《わ》が甲板《かんぱん》の前後《ぜんご》左右《さいう》を眺《なが》めた。例《れい》のビール樽《だる》船長《せんちやう》は此時《このとき》私《わたくし》の頭上《づじやう》に當《あた》る船橋《せんけう》の上《うへ》に立《た》つて、頻《しき》りに怪《あやし》の船《ふね》の方向《ほうかう》を見詰《みつ》めて居《を》つたが、先刻《せんこく》遙《はる》か/\の海上《かいじやう》に朦乎《ぼんやり》と三個《さんこ》の燈光《ともしび》を認《みと》めた間《あひだ》こそ、途方《とほう》も無《な》い事《こと》を言《い》つて居《を》つたものゝ、最早《もはや》斯《か》うなつては其樣《そん》な無※[#「(禾+尤)/上/日」、92−4]《ばか》な事《こと》は言《い》つて居《を》られぬ。
『はてさて、妙《めう》だぞ、あれは矢《や》ツ張《ぱり》※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》だわい、して見《み》ると今月《こんげつ》の航海表《かうかいへう》に錯誤《まちがい》があつたのかしらん。』と言《い》ひつゝ、仰《あほ》いで星影《ほしかげ》淡《あは》き大空《おほぞら》を眺《なが》めたが
『いや、いや、如何《どう》考《かんが》へても今時分《いまじぶん》あんな船《ふね》に此《この》航路《かうろ》で追越《おひこ》される筈《はづ》はないのだ。』と見《み》る/\内《うち》に不安《ふあん》の顏色《いろ》が現《あら》はれて來《き》た。
此時《このとき》はすでに澤山《たくさん》の船員等《せんゐんら》は此處彼處《こゝかしこ》から船橋《せんけう》の邊《ほとり》を指《さ》して集《あつま》つて來《き》た。いづれも愕《おどろ》いた樣《やう》な、審《いぶか》るやうな顏《かほ》で、今《いま》やます/\接近《せつきん》し來《きた》る怪《あやし》の船《ふね》の燈光《とうくわう》を眺《なが》めて居《を》る。
『實《じつ》に不思議《ふしぎ》だ――あの船脚《ふなあ
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