恐怖《おそ》るべき或《ある》者《もの》の仕業《しわざ》で、何《なに》か企圖《くわだ》つる所《ところ》があつて、我《わ》が弦月丸《げんげつまる》を彼處《かしこ》の海上《かいじやう》へ誘引《おび》き寄《よ》せやうとしたのではあるまいか、實《じつ》に印度洋《インドやう》の航海《かうかい》程《ほど》世《よ》に恐《おそ》るべき航海《かうかい》はない、颶風《タイフン》や、大強風《ストロング、ゲー》や、咫尺《しせき》を辨《べん》ぜぬ海霧《シーフ、オツグ》や、其他《そのほか》、破浪《はらう》、逆潮浪《ぎやくてうらう》の悽《すざ》まじき、亂雲《らんうん》、積雲《せきうん》の物凄《ものすご》き、何處《いづく》の航海《かうかい》にも免《まぬ》かれ難《がた》き海員《かいゐん》の苦難《くなん》ではあるが、特《こと》に此《この》印度洋《インドやう》では是等《これら》の苦難《くなん》の外《ほか》に、今一個《いまひとつ》最《もつと》も恐怖《おそ》る可《べ》き『海賊船《かいぞくせん》の襲撃《しゆうげき》』といふ禍《わざわい》がある。往昔《むかし》から此《この》洋中《やうちう》で、海賊船《かいぞくせん》の襲撃《しゆうげき》を蒙《こうむ》つて、悲慘《ひさん》なる最後《さいご》を遂《と》げた船《ふね》は幾百千艘《いくひやくせんざう》あるかも分《わか》らぬ。人《ひと》の談話《はなし》では今《いま》は往昔《むかし》程《ほど》海賊船《かいぞくせん》の横行《わうかう》ははげしくは無《な》いが、其代《そのかは》り往昔《むかし》の海賊船《かいぞくせん》は一撃《いちげき》の下《もと》に目指《めざ》[#ルビの「めざ」は底本では「あざ」]す貨物船《くわぶつせん》を撃沈《げきちん》するやうな事《こと》はなく、必《かなら》ず其《その》船《ふね》をもつて此方《こなた》に乘掛《のりか》け來《きた》り、武裝《ぶさう》せる幾多《いくた》の海賊《かいぞく》輩《ども》は手《て》に/\劔戟《けんげき》を振翳《ふりかざ》しつゝ、彼方《かなた》の甲板《かんぱん》から此方《こなた》へ乘移《のりうつ》り、互《たがひ》に血汐《ちしほ》を流《なが》して勝敗《しようはい》を爭《あらそ》ふのであるから、海賊《かいぞく》勝《か》てば其後《そのゝち》の悲慘《ひさん》なる光景《くわうけい》は言《い》ふ迄《まで》もないが、若《も》し此方《こなた》強《つよ》ければ其《その》賊《ぞく》輩《ども》を鏖殺《みなごろし》にする事《こと》も出來《でき》るのである。けれど今日《こんにち》に於《おい》ては、海賊《かいぞく》も餘程《よほど》狡猾《かうかつ》になつて、かゝる手段《しゆだん》に出《い》づる事《こと》は稀《まれ》で、加《くわ》ふるに海底潜水器《かいていせんすいき》の發明《はつめい》があつて以來《いらい》、海賊船《かいぞくせん》は多《おほ》く其《その》發明《はつめい》を應用《おうよう》して、若《も》し漫々《まん/\》たる海洋《かいやう》の上《うへ》に金銀《きんぎん》財寳《ざいほう》を滿載《まんさい》せる船《ふね》を認《みと》めた時《とき》には、先《ま》づ砲《ほう》又《また》は衝角《しようかく》をもつて一撃《いちげき》の下《もと》に其《その》船《ふね》を撃沈《げきちん》し、後《のち》に潜水器《せんすいき》を沈《しづ》めて其《その》財寳《ざいほう》を引揚《ひきあ》げる相《さう》である。勿論《もちろん》、今日《こんにち》に於《おい》ても潜水器《せんすいき》の發明《はつめい》は未《いま》だ充分《じゆうぶん》完全《くわんぜん》の度《ど》には進《すゝ》んで居《を》らぬから、此《この》手段《しゆだん》とて絶對的《ぜつたいてき》に應用《おうよう》する事《こと》の出來《でき》ぬのは言《い》ふ迄《まで》もない。即《すなは》ち現今《げんこん》に於《おい》て最《もつと》も精巧《せいこう》なる潜水器《せんすいき》でも、海底《かいてい》五十|米突《メートル》以下《いか》に沈《しづ》んでは水《みづ》の壓力《あつりよく》の爲《た》めと空氣喞筒《くうきポンプ》の不完全《ふくわんぜん》なる爲《ため》に、到底《たうてい》其《その》用《よう》を爲《な》さぬのであるから、潜水器《せんすいき》を用《もち》ゆる海賊船《かいぞくせん》は、常《つね》に此點《このてん》に向《むか》つて深《ふか》く意《こゝろ》を用《もち》ゐ、狂瀾《きやうらん》逆卷《さかま》く太洋《たいやう》の面《めん》に於《おい》て、目指《めざ》す貨物船《くわぶつせん》を撃沈《げきちん》する塲所《ばしよ》は必《かなら》ず海底《かいてい》の深《ふか》さ五十|米突《メートル》に足《た》らぬ島嶼《たうしよ》の附近《ふきん》か、大暗礁《だいあんせう》又《また》は海礁《かいせう》の横《よこたは》つて居《を》る塲所《ばしよ》に限《
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