》平穩《おだやか》な海上《かいじやう》で難破《なんぱ》するやうな船《ふね》は全《まつた》く我等《われ/\》海員《かいゐん》の仲間以外《なかまはづれ》です、何《なに》も面倒《めんだう》な目《め》を見《み》て救助《きうじよ》に赴《おもむ》く義務《ぎむ》は無《な》いのです。』と言《い》つて空嘯《そらぶ》き笑《わら》つた
最早《もはや》問答《もんだう》も無益《むえき》と思《おも》つたから、私《わたくし》は突然《ゐきなり》船長《せんちやう》を船室《ケビン》の外《そと》へ引出《ひきだ》した
『あれが見《み》えませんか、あれが、あの悲慘《ひさん》なる信號《しんがう》の光《ひかり》を見《み》て何《なに》とも感《かん》じませんか。』とばかり、遙《はる》かに指《ゆびさ》す左舷船尾《さげんせんび》の海上《かいじやう》。私《わたくし》は『あツ。』と叫《さけ》んだまゝ暫時《しばらく》開《あ》いた[#「開《あ》いた」は底本では「開《あ》たい」]口《くち》も塞《ふさ》がらなかつたよ。審《いぶ》かしや。今《いま》から二分《にふん》三分《さんぷん》前《まへ》までは確《たしか》に閃々《せん/\》と空中《くうちう》に飛《と》んで居《を》つた難破信號《なんぱしんがう》の火光《ひかり》は何時《いつ》の間《ま》にか消《き》え失《う》せて、其處《そこ》には海面《かいめん》より數《すう》十|尺《しやく》高《たか》く白色球燈《はくしよくきうとう》輝《かゞや》き、船《ふね》の右舷《うげん》左舷《さげん》と覺《お》ぼしき處《ところ》に緑燈《りよくとう》、紅燈《こうとう》の光《ひかり》がぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と見《み》ゆるのみである。前檣《ぜんしやう》に白燈《はくとう》、右舷《うげん》に緑燈《りよくとう》、左舷《さげん》に紅燈《こうとう》は言《い》ふ迄《まで》もない、安全航行《あんぜんかうかう》の信號《しんがう》※[#感嘆符三つ、81−11]
『はゝあ、或程《なるほど》、星火榴彈《せいくわりうだん》に一次《いちじ》一發《いつぱつ》の火箭《くわせん》、救助《きゆうじよ》を求《もと》むる難破船《なんぱせん》の信號《しんがう》がよく見《み》えます、貴下《あなた》の眼は仲々《なか/\》結構《けつこう》な眼《め》です。』と意地惡《ゐぢわる》き船長《せんちやう》はぢろり[#「ぢろり」に傍点]ッと私《わたくし》の顏《かほ》を睨《にら》んだか、私《わたくし》は一言《いちごん》も無《な》いのである。然《しか》し實《じつ》に奇怪《きくわい》な事《こと》ではないか、今《いま》安全信號燈《あんぜんしんがうとう》の輝《かゞや》いて居《を》る邊《へん》の海上《かいじやう》には、確實《たしか》に悲慘《ひさん》なる難破船《なんぱせん》の信號《しんがう》が見《み》えて居《を》つたのに。さては船長《せんちやう》の言《い》ふがごとく私《わたくし》の眼《め》の誤《あやま》りであつたらうか。否《いや》、否《いや》、如何《どう》考《かんが》へても私《わたくし》は白《しろ》、緑《みどり》、紅《あか》の燈光《とうくわう》を星火榴彈《せいくわりうだん》や火箭《くわぜん》と間違《まちが》へる程《ほど》惡《わる》い眼《まなこ》は持《も》つて居《を》らぬ筈《はづ》。して見《み》ると先刻《せんこく》の難破船信號《なんぱせんしんがう》は、何時《いつ》の間《ま》にか安全航行《あんぜんかうかう》の信號《しんがう》に變《かは》つたに相違《さうゐ》ない。さて/\奇妙《きめう》な事《こと》だと、私《わたくし》は暫時《しばらく》五里霧中《ごりむちう》に彷徨《さまよ》ふた。
船長《せんちやう》は一時《いちじ》は毒々《どく/\》しく私《わたくし》の顏《かほ》を眺《なが》めて嘲笑《あざわら》つて居《を》つたが此時《このとき》稍《や》や眞面目《まじめ》になつて其《その》光《ひかり》の方《かた》を眺《なが》めつゝ
『然《しか》し妙《めう》だぞ、今月《こんげつ》の航海表《かうかいへう》によると、今頃《いまごろ》此《この》航路《かうろ》を本船《ほんせん》の後《あと》を追《お》ふて斯《か》く進航《しんかう》して來《く》る船《ふね》は無《な》い筈《はづ》だが。』と小首《こくび》を傾《かたむ》けたが忽《たちま》ちカラ/\と笑《わら》つて
『あゝ分《わか》つた/\、畜生《ちくしやう》巧《うま》くやつてるな、此前《このまへ》あの邊《へん》で沈沒《ちんぼつ》したトルコ[#「トルコ」に二重傍線]丸《まる》の船幽靈《ふないうれい》めが、まだ浮《うか》び切《き》れないで難破船《なんぱせん》の眞似《まね》なんかして此《この》船《ふね》を暗礁《あんせう》へでも僞引寄《おびきよ》せやうとかゝつて居《い》るんだな、どつこい、其手《そのて》は喰《く》はんぞ。』と呟《つぶや》きながら私
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