先刻《せんこく》は見送《みおく》られた吾等《われら》は今《いま》は彼等《かれら》を此《この》船《ふね》より送《おく》り出《いだ》さんと、私《わたくし》は右手《めて》に少年《せうねん》を導《みちび》き、流石《さすが》に悄然《せうぜん》たる春枝夫人《はるえふじん》を扶《たす》けて甲板《かんぱん》に出《で》ると、今宵《こよひ》は陰暦《いんれき》十三|夜《や》、深碧《しんぺき》の空《そら》には一|片《ぺん》の雲《くも》もなく、月《つき》は浩々《かう/\》と冴《さ》え渡《わた》りて、加《くは》ふるに遙《はる》かの沖《おき》に停泊《ていはく》して居《を》る三四|艘《そう》の某《ぼう》國《こく》軍艦《ぐんかん》からは、始終《しじゆう》探海電燈《サーチライト》をもつて海面《かいめん》を照《てら》して居《を》るので、其《その》明《あきらか》なる事《こと》は白晝《まひる》を欺《あざむ》くばかりで、波《なみ》のまに/\浮沈《うきしづ》んで居《を》る浮標《ブイ》の形《かたち》さへいと明《あきらか》に見《み》える程《ほど》だ。
濱島《はまじま》は船《ふね》の舷梯《げんてい》まで到《いた》つた時《とき》、今《いま》一|度《ど》此方《こなた》を振返《ふりかへ》つて、夫人《ふじん》とその愛兒《あいじ》との顏《かほ》を打眺《うちなが》めたが、何《なに》か心《こゝろ》にかゝる事《こと》のあるが如《ごと》く私《わたくし》に瞳《ひとみ》を轉《てん》じて
『柳川君《やながはくん》、然《さ》らば之《これ》にてお別《わか》れ申《まう》すが、春枝《はるえ》と日出雄《ひでを》の事《こと》は何分《なにぶん》にも――。』と彼《かれ》は日頃《ひごろ》の豪壯《がうさう》なる性質《せいしつ》には似合《にあ》はぬ迄《まで》、氣遣《きづか》はし氣《げ》に、恰《あだか》も何者《なにもの》か空中《くうちゆう》に力強《ちからつよ》き腕《うで》のありて、彼《かれ》を此《この》塲《ば》に捕《とら》へ居《を》るが如《ごと》くいとゞ立去《たちさ》り兼《か》ねて見《み》へた。之《これ》が俗《ぞく》に謂《い》ふ虫《むし》の知《し》らせとでもいふものであらうかと、後《のち》に思《おも》ひ當《あた》つたが、此時《このとき》はたゞ離別《りべつ》の情《じやう》さこそと思《おも》ひ遣《や》るばかりで、私《わたくし》は打點頭《うちうなづ》き『濱島君《はまじ
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