》入《いり》。最早《もはや》袂別《わかれ》の時刻《じこく》も迫《せま》つて來《き》たので、いろ/\の談話《はなし》はそれからそれと盡《つ》くる間《ま》も無《な》かつたが、兎角《とかく》する程《ほど》に、ガラン、ガラ、ガラン、ガラ、と船中《せんちゆう》に布《ふ》れ廻《まは》る銅鑼《どら》の響《ひゞき》が囂《かまびす》しく聽《きこ》えた。
『あら、あら、あの音《おと》は――。』と日出雄少年《ひでをせうねん》は眼《め》をまん丸《まる》にして母君《はゝぎみ》の優《やさ》しき顏《かほ》を仰《あふ》ぐと、春枝夫人《はるえふじん》は默然《もくねん》として、其《その》良君《をつと》を見《み》る。濱島武文《はまじまたけぶみ》は靜《しづ》かに立上《たちあが》つて
『もう、袂別《おわかれ》の時刻《じこく》になつたよ。』と他《た》の三人《みたり》を顧見《かへりみ》た。
すべて、海上《かいじやう》の規則《きそく》では、船《ふね》の出港《しゆつかう》の十|分《ぷん》乃至《ないし》十五|分《ふん》前《まへ》に、船中《せんちう》を布《ふ》れ廻《まは》る銅鑼《どら》の響《ひゞき》の聽《きこ》ゆると共《とも》に本船《ほんせん》を立去《たちさ》らねばならぬのである。で、濱島《はまじま》は此時《このとき》最早《もはや》此《この》船《ふね》を去《さ》らんとて私《わたくし》の手《て》を握《にぎ》りて袂別《わかれ》の言葉《ことば》厚《あつ》く、夫人《ふじん》にも二言《ふたこと》三言《みこと》云《い》つた後《のち》、その愛兒《あいじ》をば右手《めて》に抱《いだ》き寄《よ》せて、其《その》房々《ふさ/″\》とした頭髮《かみのけ》を撫《な》でながら
『日出雄《ひでを》や、汝《おまへ》と父《ちゝ》とは、之《これ》から長時《しばらく》の間《あひだ》別《わか》れるのだが、汝《おまへ》は兼々《かね/″\》父《ちゝ》の言《い》ふやうに、世《よ》に俊《すぐ》れた人《ひと》となつて――有爲《りつぱ》な海軍士官《かいぐんしくわん》となつて、日本帝國《につぽんていこく》の干城《まもり》となる志《こゝろ》を忘《わす》れてはなりませんよ。』と言《い》ひ終《をは》つて、少年《せうねん》が默《だま》つて點頭《うなづ》くのを笑《え》まし氣《げ》に打《う》ち見《み》やりつゝ、他《た》の三人《みたり》を促《うなが》して船室《キヤビン》を出《で》た。
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