中部《ちゆうぶ》の船室《キヤビン》は最《もつと》も多《おほ》く人《ひと》の望《のぞ》む所《ところ》である。何故《なぜ》かと言《い》へば航海中《かうかいちゆう》船《ふね》の動搖《どうえう》を感《かん》ずる事《こと》が比較的《ひかくてき》に少《すく》ない爲《ため》で、此《この》室《へや》を占領《せんりやう》する爲《ため》には虎鬚《とらひげ》の獨逸人《ドイツじん》や、羅馬風《ローマンスタイル》の鼻《はな》の高《たか》い佛蘭西人等《フランスじんとう》に隨分《ずゐぶん》競爭者《きようそうしや》が澤山《たくさん》あつたが、幸《さいはひ》にもネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]市《し》中《ちゆう》で「富貴《ふうき》なる日本人《につぽんじん》。」と盛名《せいめい》隆々《りう/\》たる濱島武文《はまじまたけぶみ》の特別《とくべつ》なる盡力《じんりよく》があつたので、吾等《われら》は遂《つひ》に此《この》最上《さいじやう》の船室《キヤビン》を占領《せんりやう》する事《こと》になつた。加《くわ》ふるに春枝夫人《はるえふじん》、日出雄少年《ひでをせうねん》の部室《へや》と私《わたくし》の部室《へや》とは直《す》ぐ隣合《となりあ》つて居《を》つたので萬事《ばんじ》に就《つ》いて都合《つがう》が宜《よ》からうと思《おも》はるゝ。
私《わたくし》は元來《ぐわんらい》膝栗毛的《ひざくりげてき》の旅行《りよかう》であるから、何《なに》も面倒《めんだう》はない、手提革包《てさげかばん》一個《ひとつ》を船室《キヤビン》の中《なか》へ投込《なげこ》んだまゝ直《す》ぐ春枝夫人等《はるえふじんら》の船室《キヤビン》へ訪《おと》づれた。此時《このとき》夫人《ふじん》は少年《せうねん》を膝《ひざ》に上《の》せて、其《その》良君《をつと》や他《ほか》の三人《みたり》を相手《あひて》に談話《はなし》をして居《を》つたが、私《わたくし》の姿《すがた》を見《み》るより
『おや、もうお片附《かたづき》になりましたの。』といつて嬋娟《せんけん》たる姿《すがた》は急《いそ》ぎ立《た》ち迎《むか》へた。
『なあに、柳川君《やながはくん》には片附《かたづ》けるやうな荷物《にもつ》もないのさ。』と濱島《はまじま》は聲《こゑ》高《たか》く笑《わら》つて『さあ。』とすゝめた倚子《ゐす》によつて、私《わたくし》も此《この》仲間《なかま
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