したのだから堪《たま》らない。私《わたくし》はハツト思《おも》つて一時《いちじ》は遁出《にげだ》さうとしたが、今更《いまさら》遁《に》げたとて何《なん》の甲斐《かひ》があらう、もう絶體絶命《ぜつたいぜつめい》と覺悟《かくご》した時《とき》、猛狒《ゴリラ》はすでに目前《もくぜん》に切迫《せつぱく》した。身長《みのたけ》七|尺《しやく》に近《ちか》く、灰色《はいいろ》の毛《け》は針《はり》の如《ごと》く逆立《さかだ》ち、鋭《するど》き爪《つめ》を現《あら》はして、スツと屹立《つゝた》つた有樣《ありさま》は、幾百十年《いくひやくじふねん》の星霜《せいさう》を此《この》深林《しんりん》に棲暮《すみくら》したものやら分《わか》らぬ。猛惡《まうあく》なる猴《さる》の本性《ほんしやう》として、容易《ようゐ》に手《て》を出《だ》さない、恰《あだか》も嘲《あざけ》る如《ごと》く、怒《いか》るが如《ごと》く、其《その》黄色《きいろ》い齒《は》を現《あら》はして、一聲《いつせい》高《たか》く唸《うな》つた時《とき》は、覺悟《かくご》の前《まへ》とはいひ乍《なが》ら、私《わたくし》は頭《あたま》から冷水《ひやみづ》を浴《あ》びた樣《やう》に戰慄《せんりつ》した、けれど今更《いまさら》どうなるものか。私《わたくし》は日出雄少年《ひでをせうねん》を背部《うしろ》に庇護《かば》つて、キツと猛狒《ゴリラ》の瞳孔《ひとみ》を睨《にら》んだ。すべて如何《いか》なる惡獸《あくじゆう》でも、人間《にんげん》の眼光《がんくわう》が鋭《するど》く其《その》面《めん》に注《そゝ》がれて居《を》る間《あひだ》は、决《けつ》して危害《きがい》を加《くわ》へるものでない、其《その》眼《め》の光《ひかり》が次第々々《しだい/\》に衰《おとろ》へて、頓《やが》て茫乎《ぼんやり》とした虚《すき》を窺《うかゞ》つて、只《たゞ》一息《ひといき》に飛掛《とびかゝ》るのが常《つね》だから、私《わたくし》は今《いま》喰殺《くひころ》されるのは覺悟《かくご》の前《まへ》だが、どうせ死《し》ぬなら徒《たゞ》は死《し》なぬぞ、斯《か》く睨合《にらみあ》つて居《を》る間《あひだ》に、先方《せんぱう》に卯《う》の毛《け》の虚《すき》でもあつたなら、機先《きせん》に此方《こなた》から飛掛《とびかゝ》つて、多少《たせう》の痛《いた》さは見《み》せ
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