》私《わたくし》は不束《ふつゝか》ながらも一個《いつこ》の日本男子《につぽんだんし》であれば、其《その》國《くに》の名《な》に對《たい》しても、斯《かゝ》る[#「斯《かゝ》る」は底本では「斯《かゝ》か」]塲合《ばあひ》に第《だい》一に逃出《にげだ》す事《こと》は出來《でき》ぬのである。然《しか》し、春枝夫人《はるえふじん》と日出雄少年《ひでをせうねん》とは私《わたくし》が[#「私《わたくし》が」は底本では「私《わたくし》か」]堅《かた》く友《とも》に保證《ほしやう》して居《お》る人《ひと》、且《かつ》は纎弱《かよわ》き女性《によせう》と、無邪氣《むじやき》なる少年《せうねん》の身《み》であれば、先《ま》づ此《この》二人《ふたり》をば避難《ひなん》せしめんと頻《しきり》に心《こゝろ》を焦《いらだ》てたのである。
然《しか》るに私《わたくし》の苦心《くしん》は全《まつた》く無益《むえき》であつた。第一端艇《だいいちたんてい》の波上《はじやう》[#ルビの「はじやう」は底本では「はしやう」]に浮《うか》ぶや否《い》なや、忽《たちま》ち數百《すうひやく》の人《ひと》は、雪崩《なだれ》の如《ごと》く其處《そこ》へ崩《くづ》れかゝつた。我先《われさき》に其《その》端艇《たんてい》に乘移《のりうつ》らんと、人波《ひとなみ》うつて※[#「口+曹」、第3水準1−15−16]閙《ひしめ》く樣《さま》は、黒雲《くろくも》の風《かぜ》に吹《ふ》かれて卷返《まきかへ》すやうである。
『夫人《おくさん》、とてもいけません。』と二三|歩《ぽ》進《すゝ》んだ私《わたくし》は振返《ふりかへ》つた。とても/\、あの狂氣《きちがひ》のやうに立騷《たちさわ》いで居《を》る多人數《たにんずう》の間《あひだ》を分《わ》けて、此《この》柔弱《かよわ》き夫人《ふじん》と少年《せうねん》とを安全《あんぜん》に端艇《たんてい》に送込《おくりこ》む事《こと》が出來《でき》やう? あゝ人間《にんげん》はいざと云《い》ふ塲合《ばあひ》には、恥辱《はぢ》も名譽《めいよ》もなく、斯《か》く迄《まで》生命《いのち》の惜《を》しい者《もの》かと、嘆息《たんそく》と共《とも》に眺《なが》めて居《を》ると、更《さら》に奇怪《きくわい》なるは、其《その》端艇《たんてい》に身《み》を投《とう》じたる一群《いちぐん》の人《ひと》、それは一等船
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