ない。六千四百|噸《とん》の巨船《きよせん》もすでに半《なかば》は傾《かたむ》き、二本《にほん》の煙筒《えんとう》から眞黒《まつくろ》に吐出《はきだ》す烟《けぶり》は、恰《あたか》も斷末魔《だんまつま》[#ルビの「だんまつま」は底本では「たんまつま」]の苦悶《くもん》を訴《うつた》へて居《を》るかのやうである。
『もう無益《だめ》だ/\、とても沈沒《ちんぼつ》は免《まぬ》かれない。』と船員《せんゐん》一同《いちどう》はすでに本船《ほんせん》の運命《うんめい》を見捨《みす》てたのである。
私《わたくし》は此時《このとき》まで殆《ほと》んど喪心《そうしん》の有樣《ありさま》で、甲板《かんぱん》の一端《いつたん》に屹立《つゝた》つた儘《まゝ》、此《この》慘憺《さんたん》たる光景《ありさま》に眼《まなこ》を注《そゝ》いで居《を》つたが、ハツと心付《こゝろつ》いたよ。
『春枝夫人《はるえふじん》、日出雄少年《ひでをせうねん》は如何《どう》して居《を》るだらう。』と
私《わたくし》は宙《ちう》を飛《と》んで船室《せんしつ》の方《かた》に向《むか》つた。昇降口《しようかうぐち》のほとり、出逢《であ》ひがしらに、下方《した》から昇《のぼ》つて來《き》たのは、夫人《ふじん》と少年《せうねん》とであつた。不時《ふじ》の大騷動《だいさうどう》に、愕《おどろ》き目醒《めさ》めたる春枝夫人《はるえふじん》は、かゝる焦眉《せうび》の急《きふ》にも其《その》省愼《たしなみ》を忘《わす》れず、寢衣《しんい》を常服《じやうふく》に着更《きか》へて居《を》つた爲《た》めに、今《いま》漸《やうや》く此處《こゝ》まで來《き》たのである。見《み》るより私《わたくし》は
『夫人《おくさん》、大事變《だいじへん》が/\。』
『何《なに》か起《おこ》りましたか、暗礁《あんせう》へでも?』と夫人《ふじん》の聲《こゑ》は沈《しづ》んで居《を》つた。
『暗礁《あんせう》どころか、ま、早《はや》く/\。』と私《わたくし》は引立《ひきた》てるやうにして夫人《ふじん》を伴《ともな》ひ、喫驚《びつくり》して眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて居《を》る少年《せうねん》をば、ヒシと腕《うで》に抱《かゝ》へて甲板《かんぱん》を走《はし》つた、餘《あま》りに人《ひと》の立騷《たちさわ》いで居《を》る邊《へ
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